「世界の台所探検家」を名乗る理由

――岡根谷さんは「世界の台所探検家」を名乗っていますが、辺境の地の知らない家庭に飛び込んで一緒に料理をして食べる姿は、まさに「探検家」ですよね。

 3回に一回は台所研究家って言われるんですけど、私の場合、対象を研究して普遍的な事実を見つけたいというよりは、何があるのかよくわからないけど行ってみて、一緒にわからなさを楽しみたい。なぜそれを食べるのか、食べておいしく感じないとしたら、それはなぜか。なぜ味がないのにおいしいって言ってるのか。その「なぜ」の部分がおもしろいわけで、料理よりもそこに興味がある。だから探検家なんです。

――これだけいろんな場所を探検していると、かなりハードな体験もあるのでは?

 すごいダニに噛まれるとかはありますが、基本的には「楽しい」しかないですね。草原の家庭でトイレまで200メートル歩かないといけない――みたいな状況も、とらえ方一つで楽しめる。ハードにも見えることも、これもアリだなって受け入れてしまえる。

 よく「食べられなかったものはないですか?」と訊かれるんですが、それもなくて。レストランでいきなり料理を出されると、口に合う合わないでジャッジしちゃうけど、そこで生活している人と一緒に作ると、日本では考えられないような料理でも、そんなに唐辛子を入れるんだ、でも結構おいしいな――と、主体的に楽しもうという方向になるんです。

そもそも料理に正解はない

――一方的な価値観でジャッジして拒絶するよりは、相手の懐に飛び込んで一緒に楽しむ方が断然おもしろいですよね。

 なんか世界を単純化したがる圧力に抵抗したい気持ちがすごくあるんです。たとえば世間では「フランス人は食にこだわりがあって、毎朝焼きたてのバゲットを買う」みたいなことが言われがちだけれど、家庭ではけっこうレトルトを食べていたり、工業的なスーパーの食パンを食べていたりする。実際行ってみないとわからないし、「ここの人はこうだよね」みたいなラベルは貼りたくない。世界には多様な食べ物があって、多様な生活、多様な在り方があるということを見せることで、こういうのもアリなんだなってラクになってもらえたらいい。

――日本にいると、食べ物ひとつとっても、つい「◯◯でないと」という呪縛に陥りがちです。

 たとえば今回、エッセイに出てくるレシピをいくつか紹介しているんですが、日本の方はよく「正解がわからない」と言う。そもそも料理に正解はない。自分がおいしいと思ったらそれが正解なんだけど、どこかに正解があると思っている。この国の味はこうだと決めたい、こうやったら大丈夫と信じたい、という気持ちがあるんですね。

 確かに決められた方が安心ではあるけど、自分自身の「これがいい」というものを持てた方が満足して生きられる。無限にレパートリーを増やして毎日おいしい料理を提供しなければいけない――みたいな呪縛は、日本に限らず他の国にもある悩みだと思うんですが、うちはこれでいいんだ、毎日ハンバーグだろうと、ただ焼いただけの野菜だろうと、これで私は満足、という線を引けた方が幸せだし、生きやすくなると思うんです。

2025.04.05(土)
文=井口啓子
撮影=佐藤 亘