くどうれいんさん初の日記本『日記の練習』が発売から1か月あまりで早くも4刷。確実に来ている昨今の日記ブームとは関係なく、くどうさんは学生時代から日記と向き合い続けていたそう。何をどこまで書くのか、という日記の書き方のお話にとどまらず、「粋な文章とは?」というところまで話題は広がります。
わたしが何色で青ざめていたのか分かるように書く
――新刊『日記の練習』は、タイトルの通り日記を“練習”してから、“本番”を書くという体裁です。“本番”を新たに書くことによる気づきはありましたか。
わたしは案外短い文章が好きなんだなという気づきはありました。一日機嫌よく過ごせた日は文章が短くて、なんだかなぁという日はめちゃくちゃ長かったりして。自分の身に起きたことを整理したいという気持ちが長く書かせるのかもしれません。書くことで適切な距離がとれて冷静に見つめなおせるのかな。
――自分の気持ちを書き残すというのは、セルフケア的な視点もあるのでしょうか。
ケアとか“ご自愛”的な視点で書いているのではなく「こんな辛かったんだぞ。見ろー!」って気持ちです。悲劇だぞって思いたいのかもしれない。でも読み返した時にまた辛い気持ちにはなりたくないから、わたしが何色で青ざめていたのか分かるようにだけ書いています。たまに書き殴る作業が発生することもあるけれど、そのまま掲載はせず、最後の一文だけ残すことも。
わたしの日記が一番だぞ!
――この本を出版してまわりからはどんな反応がありましたか。
わたしの母くらいの年代の方が意外にも多く読んでくださっているみたいで嬉しいです。読者の方から「自分が読もうと思って買ったのに、先に母が読んでいて『これ面白いよ』っておすすめされました」なんてエピソードも教えてもらいました。
あとは日記を共有してもらうことも増えましたね。Instagramの日記の投稿にタグ付けされることも。わたしの本を読んで「日記ってこういうのでいいんだ」と思ってもらえたのかもしれません。日記のハードルは下げられたのかな。
――日記を共有されるとどんな感情が芽生えるものですか? 嬉しい?
わたしの本や文章に触発されて日記を書いてくれる人がいるというのはとても嬉しいです。嬉しい気持ちがベースにありつつ「わたしの日記が一番だぞ!」と感じることもあります。
――前書きでは、「生きている限り日記に挫折した人生は続いている。」となかなか厳しいことを書いている一方で「『日記を書きたいと思うきもちを持ち続けている』それだけでもう、ほとんどあなたの日記は上出来だ。」とやさしい言葉をかけてもいます。この緩急の付け方が絶妙だと感じたのですが、これはくどうさんの普段のスタンスに近いものなのでしょうか。
これは一人の読者に向けてツンデレみたいな二面性の態度をとっているわけではなく、「日記を書いているなんて偉いね」みたいに言われると「挫折したあなたも挫折した人生が続いているんだよ」と言いたくなるし、書いているのに自信が持てずにいるような人に対しては「書きたいって思っているだけで上出来じゃないですか」って声をかけたくなる。それぞれのタイプに対して、異なる声がけをしたいことのあらわれですね、あの前書きは。
2024.11.09(土)
文=高田真莉絵
撮影=佐藤 亘