
バニーガールキャバクラの落ちこぼれ同士として仲良くなったリアナ。あの日、自分と”同類”である彼女が発した悲痛な叫びは、私たちの未来に何をもたらしたのだろう? 魔法のない時代に生きる「魔女」を描いたエッセイ、第11回です。(前篇を読む)
渋谷駅から10分ほど歩いたところにある〈Cafe BOHEMIA〉で彼女と待ち合わせる。ここで遅めのランチでも食べようと考えていたのだが、ちょうど15時でフードメニューが終わってしまったらしい。もう座ってしまっていたので、彼女がきたら1杯だけ飲んで、それから別の店へ移動することにした。私がきて5分ほど経った後に、リアナは身体のシルエットがよく目立つ真っ白な服を着てやってきた。昔は、黒い服ばかり着ていたような気がする。私は今も昔も黒い服ばかりだ。なぜなら自分の肌の黒さが目立たないからだ。彼女は私と違い、自分の肌を心から誇れるようになったのだろう。大胆に空いた背中に強調された、美しい筋肉のライン。もしリアナが昔からこんな感じだったら、私はこんなに長いこと彼女と友達ではなかったかもしれない。なんとなくルーツを探り合って、当たり障りのない話をたまにして、そのうち自分の暗さが後ろめたくなって、静かにフェードアウトしていたと思う。私はいまだに、リアナが泣いていたあの日の地点から動いていないような気がする。むしろ動いていないどころか、あの地点で感じた思いをグリグリとしつこく掘り進めて今の私が出来上がっているような気さえする。もしかして、あのとき一緒に泣いたらある程度気が済んで、私もこんなふうに、全然違う未来があったりしたんじゃないだろうか。ハイボールを飲んで会話をしながら、私は考え込んでしまった。
早々に飲み終わってしまったので、会計をして近くの居酒屋に移動する。渋谷は観光客らしき外国人で溢れかえっている。あっちを見ても、こっちを見ても外国人。そして、傍から見れば、私たちだって外国人だった。ここ数日、ネットではJICA(国際協力機構)がアフリカ開発会議に伴い認定した「ホームタウン」についての批判ばかりが目に入る。日本に大量のアフリカ人がやって来るかもしれないことについての不安や怒りが、あちこちから溢れかえっていた。起きるかもしれない問題や対策について話すのは当然必要であると感じる。けれど、その話題をいいことに言ってはいけない言葉を簡単に書く人たちが、最近のタイムラインにはあまりにも増えすぎている。その話題以前から、私たちはとっくに不穏な空気をかぎ取っていた。街頭演説が盛んだった時期は、冗談ではなく「誰かに刺されるかもしれない」なんて思いながら街を歩いた。店の方向に向かいながら、私が「なんかさ、最近なんか気まずい。気まずくない? うちら」とこぼすと、リアナは話しはじめる前から自分でひとしきり笑って、それからこう言った。
2025.10.07(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香