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動かずとも汗が吹き出すはずの季節にも、ひんやりと冷たい私の身体。ある時、「真っ赤に熱された鉄球」のような激情への憧れから演劇のワークショップを受けてみると、冷えた身体の中に滾るような熱を発見して――。魔法のない時代に生きる「魔女」を描いたエッセイ、第9回です。後篇を読む)

 私はちいさい頃から汗をかかない。体育の授業や夏の登下校。みんなが額から汗を流しながら過ごしているなか、私はいつも、真っ黒な縮れ毛が生えた頭がじりじりと焼けていくのを感じながら、乾いたままじっと耐えていた。たしかに、当初は汗をかかない自分の体質をどこか得意げに思っていたかもしれない。私の好きなクールなアニメキャラクターたちは、どれだけピンチに陥っても汗をかいたりはしなかった。熱血キャラなんて好きじゃない。私も彼らのように平静に過ごしていたいし、実際おとなしい子どもだった。まあ、自ら志してそういうふうになったのか、それとも、もともとそんな性格だからそういう佇まいに憧れたのか、今となっては確かめようがない。とにかく、私の身体はたいてい冷えていた。中学生になってからは血色のいい顔が羨ましく思えて、母親の持っていたチークを顔中に塗りたくって登校したこともあった。しかし結局私の肌は、なにをしても死人みたいな土気色のままで、みんなのような生き生きとしたピンク色にはならなかったし、果物から雫がこぼれるような、美しい汗も出なかった。足先が冷たい。私は死んでいるのだと思った。

 高校生の時、当時付き合っていた人とはじめて手を繋いだ。彼はよく手のひらに汗をかく人だった。私の乾いたままの手のひらに伝わってくるその湿度が、単純な触れ合いの熱からくるものなのか、それとも私と手を繋いでいる気恥ずかしさや緊張によるものなのかは分からなかったけれど、ふたりのあいだにじんわりと溜まっていく汗に、私はなんとも言えない嬉しさを覚えていた。この人はちゃんと生きていて、たぶん私のことが好きで、私の存在に身体で反応してくれている。私も同じように彼のことが好きだったと思う。それでも私の頬は上気せず、指先はずっと冷たいままだった。感情が身体の反応としてアウトプットされないせいで、なんだか心まで冷めてしまっているような気さえしていた。私もなにかに夢中になって、それと同時に自然に汗を流すことができたら、どんなに生きた心地がするだろう。

 大学生の時、好きだった人の出演している舞台を観に行った。いつもクールなあの人のことだから、きっと舞台の上でもさらりと役をこなすのだと私は勝手に想像していた。真っ暗になった劇場のなか、たったひとつのスポットライトの真ん中にあの人が立っている。私の予想に反して、いつもかけている賢そうな丸眼鏡をはずした彼の目が、見たことのない狂気を帯びて客席を睨んでいた。大音量のBGMに張り合うような、ほとんど叫び声に近い長台詞が私の耳をつんざく。こんな姿は見たことがない。あっけにとられた私を置き去りにして、彼はなおも喚くように言葉を続けた。額からは滝のような汗が、照明を反射しながら下へ下へと流れているのが見える。板の上に水たまりのように落ちていく汗、汗。私は身じろぎもせず涙を流していた。それからは取りつかれたように時間を見つけては公演に通った。私もこんなふうに汗を流してみたい。私も舞台に出れば、こんなふうになれるのかもしれない。そんなことを思いついて、私は演劇のワークショップに申し込みをした。

2025.08.05(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香