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私が汗をかくに至らないのは、自堕落な性格のせいでもあった

 雑居ビルの一室に集められた応募者たちは、ほとんどが私と同じように演技経験のない人たちばかりだった。みんな何者かにはなりたくて、だけどなにをしていいのかはわからなくて、結局ネットで見つけた怪しい広告に申し込んでみた、といった感じだった。私も彼らと同じなのだから、馬鹿になんてできない。それぞれ自己紹介で、躊躇いもなく憧れている俳優の名前を口にしている。自分にもなにか特別な力があると信じていて、みんなキラキラと目が輝いていた。この集団の中で、自分だけが特別に見出されるとみな信じている。私も頭の中で何度も文言を繰り返していた自己紹介を披露する。相変わらず熱がこもらない小さな声。壁一面に取り付けられた鏡に映った自分の顔は、いつもの無気力な表情と何ら変わっていない。そんな自分と目を合わせながら「本当にやる気あるのか? こいつ」と疑わしくなる。きっと周りもそんなふうに思っていただろう。

「みなさんには早速、エチュードをやってもらいます」

 エチュードというのは即興劇のことらしい。2人か3人で一組を作り、与えられたシチュエーションに沿って即興でお芝居をしていくというものだ。他の生徒が体育座りで見学しているなか、一組ずつ前に出て順番に演技をする。当然、演技未経験、しかもいきなり即興でだなんて上手くいくはずもない。一様に照れてしまってしどろもどろになったり、頭が真っ白になって、ただ立っているだけの人もいた。私はというと、同じように演技もできず、声も人より小さい分、セリフを想像して口に出す能力だけは周りより長けていたように思う。一生懸命取り組まなければならない状況で、私は半分諦めたようにフラフラと動き、とぼけたようなセリフをボソボソと話した。みんなクスクスと笑っていたが、驚いたような顔もしていた。得意かもしれない。講師が感心するように私を見ているのがわかって、早くも私は優越感に浸った。私はいつもそうだ。どんなことも最初は人より器用にできて、褒められて機嫌がよくなって、それで満足してサボる。私が汗をかくに至らないのは、そういう自堕落な性格のせいでもあった。エンジンがかかり切る前に、早々に走るのをやめてしまうのだ。

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伊藤亜和(いとう・あわ)

文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。その他の著書に『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)。

次の話を読む汗と呪い(後篇)

Column

伊藤亜和「魔女になりたい」

今最も注目されるフレッシュな文筆家・伊藤亜和さんのエッセイ連載がCREA WEBでスタート。幼い頃から魔女という存在に憧れていた伊藤さんが紡ぐ、都会で才能をふるって生きる“現代の魔女”たちのドラマティックな物語にどうぞご期待ください。

2025.08.05(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香