*第47回のネタバレを含みます。

 NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(NHK総合、日曜午後8時ほか)が佳境を迎えている。12月7日放送の第47回では、蔦屋重三郎(横浜流星)が、物語を通じて仲間たちを次々と失わせてきた黒幕・一橋治済(生田斗真)への「敵討ち」を果たす物語と、写楽の話がほぼ完結した。

 物語では、一橋治済の暗躍により、次々と悲劇が起こる。安永8年(1779年)には次期将軍と目されていた徳川家基(奥智哉)が鷹狩りの最中に急死。同年、平賀源内(安田顕)が投獄され獄死し、老中首座・松平武元(石坂浩二)も急逝した。天明4年(1784年)には田沼意知(宮沢氷魚)が江戸城内で佐野政言(矢本悠馬)に斬りつけられ命を落とし、天明6年(1786年)には10代将軍・徳川家治(眞島秀和)が急逝する。寛政期には出版統制により恋川春町(岡山天音)が切腹に追い込まれた。

 第47回では、こうした理不尽な悲劇への報復が描かれる。松平定信(井上祐貴)は治済への復讐を企て、治済の傀儡として多数の人を殺めてきた元大奥御年寄の大崎(映美くらら)をスパイとして送り込む。だが、治済に見抜かれ、大崎は因果応報の最期を迎える。次に松平は、治済と瓜二つの能役者・斎藤十郎兵衛(写楽の正体として最有力視されている人物)を見つけ、治済を葬って「替え玉」とする計略を思いつくが、これも失敗に終わる。

 そこで蔦重が松平に提案したのが「毒饅頭には毒饅頭を」という策だった。それを実行できるのは、治済の息子である第十一代将軍・家斉(城桧吏)だけ。家治の最期を知る清水重好(落合モトキ)を巻きこむも、計略は難航するが、蔦重は曽我祭の際に大崎が釣りは要らぬと力強く手渡してきた紙を思い出す。そこには、乳母だった大崎から家斉へのメッセージが記されていた――治済の傀儡となって行ってきた数々の悪事、そして家斉もまた治済の傀儡であったこと、治済の悪行を止められるのは家斉だけであることが。

 それを読んだ家斉の脳裏に、幼い頃に目撃した光景がよみがえる。死の際にあった家治が、家基の名を呼びながら治済へにじり寄り、その胸元につかみかかって放った言葉――「悪いのは父だ、すべて、そなたの父だ」「よいか! 天は見ておるぞ。天は天の名を騙る傲りを許さぬ!」。こうして家斉も報復の計略に乗り、治済は自らの傀儡である息子の手により毒を食らって倒れる。

 しかし、この「毒」は眠り薬だった。治済を殺すのではなく、眠っている間に阿波の孤島に閉じ込め、斎藤を「替え玉」とする。義があっても親殺しは大罪、それを仕掛けた者も外道に成り下がるという柴野栗山(嶋田久作)の言葉を受け、蔦重が選択した方法だ。殺さない報復――治済を一生孤島に閉じ込め、罪を背負って生きる苦しみを与えながらも、命は奪わない。それは蔦重の「商人」としての報復でもあった。そして、こうした理不尽な悲劇に対し、蔦重が文化人として選んだもう一つの報復の形が、写楽という謎を世に残すことだった。

 だが、実はこの第47回の脚本は当初、異なる結末が構想されていたという。脚本を手掛ける森下佳子氏が囲み取材で明かした「変更の理由」からは、ヒットメーカーとして知られるベテラン脚本家の葛藤と、大河ドラマという枠への真摯な向き合い方が見えてくる。

当初の構想は「謎を仕掛ける」という文化的報復

 森下氏が当初構想していた第47回は、「蔦重が写楽という謎を仕掛ける」という文化的な報復で終わる予定だった。

 「斎藤十郎兵衛という名前が出るまで、全部織り込み済みの謎源を残すイメージ」と森下氏。写楽の正体については現在、阿波徳島藩お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛という説が最も有力とされているが、当初の構想ではその名前が後世に明らかになるまでの長い年月、謎のまま残ることで時を超えた復讐になるという発想だった。

 この背景には、文化や創作物の持つ力への深い信頼があるのだろう。

「いろんなものが潰されていく中で、謎が残っていれば人は探す。それは古びない。写楽が誰かということで、長い間みんなが走り回らされた。それ自体が仕掛けだったら、時を超えた仕掛けだなと思ったんです」

 さらに森下氏は敵討ちについてこう語る。

「権力を持って隠れて好き放題やっていた卑怯者に誰も気づかない。誰も裁かない。でも、謎が残っていれば、いつか誰かが気がつくだろう。(自分の力では)下せないけれど、歴史が下すだろう」

 文化の力で権力に対抗する――この発想は、蔦重という出版人を描く上で一貫したテーマだ。森下氏は続ける。「一生懸命生きた犠牲者たちの跡形はやっぱり残っている。例えば源内さんはあんな最期を遂げても、故郷には源内通りができている。そんな風に、一生懸命生きた人の跡形は残るよね。それが復讐じゃないのかな、敵討ちじゃないのかなという出口を最初は考えていました」

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