半生を振り返る自伝的エッセイ『かもめんたる岩崎う大のお笑いクロニクル 難しすぎる世界が僕を鬼才と呼ぶ』を刊行した、かもめんたるの岩崎う大さん。「キングオブコント」チャンピオン、劇団主宰と年々肩書を増やしていき、最近ではお笑い賞レースの審査員も務めています。著書を通じて苦悩しながらお笑いと向き合う姿をさらけ出したう大さんに、大きな影響を受けた存在や最近訪れた変化、そして唯一無二の作品を生み出す手法を聞きました。

相方と仲が悪い時期を思い出すのがいっちばん嫌でした

――『難しすぎる世界が僕を鬼才と呼ぶ』では、う大さんの子ども時代から現在に至るまで、順を追って笑いとの関わりが書かれています。う大さんの半生記でもあり、まさにお笑いクロニクルでもある本ですね。

 僕が「note」で書いている賞レースの寸評が話題になった流れでこの本のお話をいただいたと認識していたので、最初は子どもの頃から今に至るまで自分が体験したお笑いを言語化していくつもりで書きはじめたんです。でも特に芸人になってからは、どうしても自分のことの割合が大きくなっていきましたね。

――これだけ克明に思い出して言葉にしていくのはしんどい面もあったと思いますが、改めてこれまでを振り返った中で印象的だったことは?

 やっぱり相方の槙尾(ユウスケ)と仲が悪い時期を思い出すのが、いっちばん嫌でした。売れてないこと自体には、夢も希望もあるんですよ。まだ手に入っていない宝物を妄想している時代であって、楽しさもあるけど……。

――「キングオブコント」で優勝した後、つまり夢を叶えた後に槙尾さんとの不仲の時期が訪れるわけですもんね。それを乗り越えて、今はお二人の仲もかなり良好になっているように見えますが。

 やっぱり成長でしょうかね。賞レースで優勝して、そこからどん底を経験するというのは当然ですが人生で初めての経験で、そりゃあ行き詰まりますよ。ただ次第に年齢も重ねて、いいかげん相手を受け入れるしかないなと気づいたんでしょうね。小競り合いはその後も起きているし、きっとこの先も繰り返すんでしょう。でもお互いにケンカしたくないなという思いがあればまあなんとかなるかもしれません。これまで何度もぶつかってきたということは、裏を返せばそれだけ仲直りしてきたということでもあるから。

――う大さんがコントや演劇を創作するにあたって、槙尾さんに影響を受けている面もあるわけですよね?

 槙尾の言った言葉を作品に登場させることも少なくないですからね。本にも書きましたけど、コンビのためを思って忠告をした僕に対して「俺がそれ言われてどういう気持ちになるか考えなかったのかよ?」と槙尾が返してきたのが衝撃で。そのセリフは実際、演劇の中で使いました。槙尾がそういう特徴的な人だからこそ「こんな役をやらせたら面白そうだな」という案も浮かんでくるし、僕にいろんな表情を見せてくれるから、それにインスパイアされる部分もありますね。

エキセントリックな母はある意味師匠みたいな存在

――一方、芸人になる前、子ども時代の話の中では特にお母さんのエピソードが強烈ですね。下ネタが異常に好きで、国語の教科書にリアルな男性器の落書きをしてきたり、小学生の息子を巻き込んでお風呂で「ソープランドごっこ」を繰り広げていたお母さん。そんなお母さんからの影響も大きいものですか?

 自分の中の常識はだいぶ母親基準になってしまっているんだろうなとは思います。たとえば母は昔から「大事な話は電話しろ」と言っていたんですよ。でも今「電話は相手の時間を奪う」という考え方も大きいじゃないですか。そんなふうに、母親から教わって当然そうだと思っていたことが、実は世間から見ると違う、ということはいろいろありそうだなと思っています。母は変なところもあれば、すごく愛情深い人でもあって……。とにかくエキセントリックな人なんですよ。そこは多少受け継いでいる気はします。めちゃくちゃ影響は受けていますね。ある意味僕の師匠みたいな存在なのかもしれない。

――では今、う大さんの創作に影響を与えている存在は?

 今は家族かなあ。子どもたちが発する言葉は面白いなと思う。正直だな、人間だな、と感じますね。

2025.06.13(金)
文=釣木文恵
撮影=佐藤 亘