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「地球の丸さを感じる」絶景

 御前埼灯台は、ドンとした重厚感のある佇まいである。

 この灯台が完成したのは、明治七年(1874)。新政府が成立して間もなくのこと。日本のみならず外国の船にとっても、この海域を安全に航行するためには灯台は不可欠であったのだ。

 灯台を手掛けたのは、御雇外国人の技師のリチャード・ヘンリー・ブラントン。

「ん? 何か、聞き覚えのある名前……」

 と、私が思うのも当然と言えば当然のこと。

 ブラントンは、日本全国各地の灯台を建てた技師として、この連載の中でも度々その名が挙がっている。そして同時に、横浜の居留地や公園の設計を行ったことから、今も横浜スタジアムの広場にシルクハットを被った胸像が立っている。何度か見かけたことはあったのだが、まさか、御前崎でその名に遭遇するとは思いもしなかった。

「はあ……こちらの灯台も手掛けていたんですね」

 当時としては、最先端の技術者であったブラントンが招かれたことからも、この灯台の重要性が分かる。

「では、中に入ってみましょう」

 中に入ってみると、しっかりとした螺旋階段が続いている。ぐるぐると目が回りそうになりつつ上がって行くと、大きなレンズが鎮座する灯室に辿り着いた。

「これはかなり、大きいですね」

 三等大型のフレネルレンズ。高さ1.57mとのことなので、レンズだけでほぼ私の背丈と同じくらい。それが台の上に乗っているので、見上げるような形になる。

「灯台が出来た当初は、一等閃光レンズといって、高さが2.59mはあったそうですが、戦争で破損したそうです。戦後になって、この大きさになりました」

 なるほど……しかし、今でも十分に大きい。

 そのレンズの脇には、灯台の外にせり出した踊り場がある。

「なかなかの絶景です」

 とのことで、外に出てみた。すると、ぶわっと風に煽られ、思わず、うっと顔を顰めてしまう。高台ということもあり、遮るものは何もない。だからこそ遠くまで光が届くのだろうが、その分、風も強い。

 遠くを見てみると、水平線とはこのことか、という景色。「地球の丸さを感じる」と言うけれど、正にその通りの風景である。

 そしてふと、視線を左に向けてみると、波の間に小さな灯台のようなものが見える。

「あれは、御前岩灯台です」

 暗礁の多いエリアを示すために、岩に作られた世界初の海上三脚灯台だとか。

「ここまで来ると危ないということを報せるために、灯台とはまた別に、昭和三十三年に創設されたんです」

 どっしりと構えた陸の灯台と、ぽつんと佇む海の中の灯台。二つが遠く呼応しながら、沖をゆく船の安全を守っているのだ。

「なんか、可愛いコンビですね」

2024.06.30(日)
文=永井紗耶子
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2024年6月号