作風を限定することに抗うような多彩な作品群
右:アンディ・ウォーホル 「$9」 1982年 アンディ・ウォーホル美術館蔵 (C) 2014 The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / ARS, New York
アメリカにおける現代美術の市場が急速に拡大していった60~70年代(コレクターやギャラリー数は10倍になったとされる)、「新参」のコレクターでも、よく見知ったモチーフには親しみや価値を感じることを、ウォーホルは確信していたのだろう。さらにウォーホルは、絵画の支持体として用いられてきたキャンバスに、版画の技法であるシルクスクリーンでイメージをプリントしたり(シルクスクリーンによる《毛沢東》は300点以上の複製にそれぞれ少しずつ手を入れ「オリジナル」な作品にしている)、以前絵画として発表したイメージをプリントして大量に複製したり、複製可能な版画より、唯一無二の存在である絵画の方が上位、という美術の世界のヒエラルキーを混乱させていく。
作品の「大量生産」を支えたのは、多くのアシスタントたちが働く、「ファクトリー」と呼ばれたスタジオだった。ウォーホルのアイディアと指示の下に制作、さらに取捨選択され、最後にサインが入ることで完成した「作品」は、それが絵画であろうとなかろうと、価値を認め、求める人々がいる限り、市場の論理に従って高額で取引された。そうした状況を、ウォーホルは「ビジネス・アートは芸術の次に来る段階だ」と表現している。
70年代以降、スタジオはもはや「ファクトリー」ではなく「オフィス」と呼ばれ、顧客たち(料金さえ払えば「セレブリティ」である必要はない)からの注文に従って制作される「注文肖像画」──モデルを撮影したポラロイド写真を基に、シルクスクリーンの版を作ってプリントする、1メートル四方のパネル1点で25,000ドルの作品──のオーダーを次々とこなしていた。のみならず、ジャン=ミシェル・バスキアとのコラボレーション、抽象絵画、キャンバスに尿をかけた「酸化絵画」、写真や映像作品など、作風を限定することに抗うように、多彩な作品群を生み出していく。
現在ではさほど珍しくない、作家としてのこうした姿勢や手法は、ウォーホルによって切り拓かれたものであり、彼の活動全体が、いわば20世紀アメリカにおける「コンセプチュアル・アート」であったと言うことも可能だろう。80年代には「十字架」や「最後の晩餐」など宗教的なモチーフも登場させたが(生前にそのことを喧伝することはなかったが、ウォーホルはカトリック教徒だった)、体調を崩し、87年に58歳で世を去った。
ピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館の所蔵品によって構成され、シンガポール、香港、上海、北京の4カ所を巡回してきた今展は、東京でフィナーレを飾る。東京都現代美術館でのウォーホル展の出品点数約180点に対して、絵画、シルクスクリーン、ドローイング、彫刻、写真など、作品の総数約400点、新聞・雑誌の切り抜き、書簡、スナップ写真などの資料類は約300点。NYの東47丁目231番地にあり、内部を銀色のアルミホイルで埋め尽くしていた、伝説的な「シルバー・ファクトリー」をほぼ原寸大で再現した体験型空間や、17面のスクリーンを使って上映される25本もの映像作品、さらに日本に関する資料、大阪万博・アメリカ館に出展された大作《レイン・マシン》を改良・再制作、大阪万博以来初めてとなる展示など、日本展独自の工夫、圧倒的な規模で、ウォーホルの全体像に迫る。
森美術館10周年記念展
アンディ・ウォーホル展 永遠の15分
URL http://www.mori.art.museum/contents/andy_warhol/
会場 森美術館
会期 2月1日(土)~5月6日(火・休)
休館日 会期中無休
入場料 一般1,500円ほか
問い合わせ先 03-5777-8600(ハローダイヤル)
Column
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2014.02.15(土)