中世における文化の巨大な保存庫としてのイスラム世界

『コーラン』1371-72年 シリア地方

 最近のイスラム教とムスリムをめぐる報道には明るい材料が少ない。9・11以来、「文明の衝突」の様相を呈しているイスラム世界と欧米との相違については、もちろん第二次世界大戦以降の現代史の知識が必須だが、イスラムの教えや価値観、その歴史という根源的な理解なしに、異質な「他者」を理解不能なものとして排撃するのではなく、「共感できなくても共存はする」方向へと変わっていくのは難しい。

 7世紀の初め、ムハンマドによって創始されたイスラム教はそもそも、同根のユダヤ教、キリスト教と同様、万物を創造した唯一神を奉じている。であれば対立する必然はないのではと思うわけだが、まずユダヤ教からキリスト教が分離する際、同じ唯一の神を仰ぎながら、ユダヤ教は「神自らが選び、契約したユダヤ人だけの神」(民族宗教)といい、イエスは「分け隔てをせず、全人類を救う神」(世界宗教)として袂を分かった。ユダヤ教のこの「選民思想」を、キリスト教もイスラム教も否定している。また後発のイスラム教は、ユダヤ教徒とキリスト教徒を、同じ神から先行して啓示を受けた「啓典の民」と見なした。だから彼らは中世のムスリム支配下の地域で、庇護民として生命や財産の保護を受け、それぞれの信仰が認められたのだ。そういう意味で、イスラム教は歴史的に「共存」を志向していた。のみならず、5世紀末の西ローマ帝国崩壊以降、ギリシア・ローマ時代の哲学や芸術、医学、薬学、神学、数学など、イスラムから見れば「異教」の文化や学術を保護。さらに独自の研究を続けたことで、中世における文化の巨大な保存庫としての役割を果たすことになった。そしてイスラム世界に保存された古代の知識は、交易などを介して中世ヨーロッパへと還流していくのである。

 こうして先行宗教の啓典をアッラーからの啓示として敬意を払う一方、『コーラン』はそれらすべてに優る最後の啓示だとして、優越性を主張する。同じ神から与えられた教えを持ち、深くつながりあった宗教だからこその困難が、三者の間には横たわっている。

ムスリムの人口は2006年時点で世界人口の19%を占めるまでとなり、カトリック教徒の17.4%を抜いた。その信仰のあり方を絶対的に規定する『コーラン』、タージ・マハルの建設者として知られるシャー・ジャハーンの肖像ほかを出展。左:「シャー・ジャハーンの肖像」 F.R.マーティン 1912年 ロンドン 右:「相承図」1925年 北京

 この展覧会では、600年以上前にシリア地方で書写された『コーラン』写本、モロッコで書かれた、数百年に及ぶ土地の売買を記したヴェラム(子牛皮紙)製の文書、アダム、キリスト、ムハンマドが一枚の系図の中に納められた「相承図」など、日本国内では滅多に見ることのできない、東洋文庫ならではの貴重な資料を駆使して、イスラム教の成立から拡大、それぞれの多様性までを具体的に紹介していく。

『イスラーム展』
会場 東洋文庫ミュージアム(東京・駒込)
会期 2015年1月10日(土)~4月12日(日)
料金 一般900円(税込)ほか
電話番号 03-3942-0280
URL http://www.toyo-bunko.or.jp/museum

2015.01.10(土)
文=橋本麻里