桜色の美しい着物を染め上げたのは……

左:志村ふくみ《秋霞》 1959年 絹紬、草木染・手織 京都国立近代美術館【前期展示 1/17~2/15】
右:志村ふくみ《紅襲(桜かさね)》 1976年 絹紬、草木染・手織 滋賀県立近代美術館【後記展示 2/17~3/15】

 染織家の志村ふくみといえば、中学校の国語の教科書で接した大岡信のエッセイ、『言葉の力』の一節が最初の邂逅だった、という人は筆者を含めて少なくないのではないだろうか。

 志村の仕事場で大岡は、桜で染めたという美しい着物を見せられる。

『「この色は何から取り出したんですか」「桜からです」と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。』(大岡信『言葉の力』より)

 花を咲かせる前の黒い樹皮から絞り出される、上気したような薄紅色のイメージは、その色を操る染織家自身をこの上なく魅力的に彩り、長く心に残った。わずかに覚えていた染織家の名前を頼りに著書を探し、染織の仕事を目にするようになるのは、10代も終わりになってからのことだ。

 志村の染織作品の美しさについては百万言を費やすより、写真を見ていただく方がよく伝わると思うが、『一色一生』や『ちょう、はたり』など、彼女が折々に記してきた文章に接するにつれ、「書くこと」以外の、一生を賭すべき仕事や目標を持つ人が、たまさか筆を執った随筆には時折、「書くことのプロ」である作家や随筆家の類には絶対に書けない、必然性のある濃密な文章が現れることを思い知った。

2014.12.27(土)
文=橋本麻里