琵琶湖から生み出される淡水真珠「びわ湖真珠」。ピンクやゴールドの気品あふれる輝きの中に、コットンキャンディのような甘さを感じさせる宝石です。

かつては年間6t生産し、欧米へ輸出され高く評価されてきました。しかし、1980年代以降、環境の変化などから生産が激減し、現在は年間で約20kgしか採れません。この希少な淡水真珠を販売しているのが、1966年創業の「神保真珠商店」です。
淡水の琵琶湖から生まれる、“幻の真珠”

真珠の歴史を、少し振り返ってみましょう。
明治時代、“真珠王”と呼ばれた、御木本真珠店(現・ミキモト)創業者の御木本幸吉氏が、世界で初めてアコヤ貝での真珠養殖に成功します。
その後、この御木本氏の下で技師として活躍していた藤田昌世氏が、琵琶湖で「池蝶貝」という淡水の貝で研究を進め、1930(昭和5)年、淡水真珠の養殖・商品化に成功。
ここから、琵琶湖の淡水真珠の歴史がスタートします。

真珠は貝の中に異物が入ることで、貝殻を作る成分がその異物を取り囲むことで誕生します。養殖では「核」という貝殻を丸くしたもの貝に入れることで、真珠層が巻き、真珠が作られます。
琵琶湖では核を入れて作る真珠のほか、核を入れない「無核」の真珠も養殖しています。手のひらよりも大きな池蝶貝で、3~5年と長期間をかけて、湖のなかでじっくりと「巻き」のある真珠を育てています。
無核の真珠はさまざまな個性的な形をし、芯まで真珠層でできた湖(うみ)の宝石となるのです。

琵琶湖の真珠は、1965~1985(昭和40~60)年ごろをピークに6tほどの生産量を誇りました。世界最高峰などと言われるペルシャ湾の天然真珠と似ていると評判を呼び、レバノン、インドのバイヤーが仕入れに来て、ヨーロッパやアメリカなどに輸出されてきました。
しかしながら、1980年代、琵琶湖の環境が悪化すると池蝶貝の養殖から始めなければならず、1つの真珠が取れるまで6~9年と長期間かかるようになり、生産者は激減します。当時100軒近くあった生産者は、現在では登録で10軒以下となり、生産量も年間20kgほどになりました。
2025.08.16(土)
文・写真=神谷加奈子