ボッティチェリを通して見る、ルネサンスとメディチ家の盛衰
歴史から美術まで親しく耳にする機会の多い、西洋美術の黄金期としての「ルネサンス」のイメージが、近年少しずつ変わりつつある。たとえば建築家・技術 者であったブルネレスキ。最初の美術史家でもあったギベルティ。遠近法と数学の研究書を書いたピエロ・デッラ・フランチェスカ。土木建築に通じたフラン チェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ。軍事技術者としてミラノ公国に雇われたレオナルド・ダ・ヴィンチ――と、15世紀イタリアでは、人間のさまざまな知的活動と美とが結びつくことで、ルネサンスと呼ばれる文化運動が勃興した。
それはまた、平和の時代に育まれた文化ではなく、「危機の時代の創造性」であったとも言えるだろう。ルネサンスに先立つ14世紀、1347年~1351年は、ジェノヴァ商人によってモンゴルから持ち込まれたペスト(黒死病)がヨーロッパ全域で猖獗を極めた。熱帯での火山爆発で地球全体の気候が寒冷化し、作物の不作が始まっていたところにペストが追い打ちをかけ、数カ月のうちにヨーロッパ全人口の3分の1とも言われる人間が死滅。生き延びるために他国の穀倉地帯を奪おうと侵攻が頻発し、ヨーロッパは未曾有の戦乱に呑み込まれていった。
フィレンツェ共和国でも、最盛期には10~12万人に達したとされる人口は、1427年時点で4万人を下回っていた。そんな時、貴族出身ではなく、金融・貿易業で成功したメディチ家が合法的に共和国の権力を奪取、以後断続を挟みつつも、300年にわたる支配が始まるのである。寡頭政治の下とはいえ、彼らの掲げた「アルノ河畔の新しいアテネ」「自由の砦」といった市民精神の称揚は、共和国に生きる人々の誇り、また芸術家たちの想像力の源泉ともなった。そしてメディチ家歴代当主が文化・芸術に寄せた深い関心のおかげで、フィレンツェはルネサンスの中心地として花開くことになる。
黄金期を演出したのは初代コジモ・デ・メディチの孫にあたる、ロレンツォ(イル・マニフィコ=豪華王)だ。ルネサンスのイメージは、ロレンツォのパトロネージュの下、優美繊細な人物像を描いたボッティチェリの絵画によって形づくられたと言ってもいいだろう。今展では、イタリア、フランス、アメリカから、日本初公開作品を含む17点(工房作等を含む)に及ぶボッティチェリ作品が集結。ウフィツィ美術館のフレスコ画《受胎告知》、ピアチェンツァ市立博物館の《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》など、ボッティチェリの作品を通じて、フィレンツェ・ルネサンスとメディチ家の盛衰を俯瞰する。
『ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美』
会場 Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)
会期 2015年3月21日(土・祝)~6月28日(日)
料金 一般1,500円(税込)ほか
電話番号 03-5777-8600(ハローダイヤル)
URL http://botticelli2015.jp
2015.04.25(土)
文=橋本麻里