岸田劉生「童女図(麗子立像)」 1923(大正12)年4月15日 神奈川県立近代美術館蔵

 ──さて、《麗子像》である。ただならぬインパクトを持つ女性像として、教科書などで目にして以来、脳裏に焼き付いて離れない、という方も多いだろう。もしかすると、近代以降の日本絵画ではもっともよく知られたイメージかもしれない。だが実は《麗子像》にもいろいろあって、父である岸田劉生は、麗子が生まれて間もない頃から15歳になるまで、油彩、水彩、水墨など、現存するだけでも50点の《麗子像》を描いたとされる。そのどれを見たにせよ、《麗子像》と聞き、あるいはそう名付けられた作品を観ると「ああ、あの」と、誰の胸にも複雑な感慨を抱かせてしまうのが、この作品の底力──というものなのだろう。

 しかしいくら名作の誉れ高いとはいえ、実の父の手でこんな肖像を何枚も残されたら、グレたくもなるのでは、と密かに思っていた(高橋由一《花魁》には、そのモデルを務めた芸妓が後で泣いて怒った、という逸話がある)。ところが写真に残る麗子さんは、あにはからんや、細面で鼻筋の通った、凛とした美人なのである。あの押し潰した鏡餅のような輪郭は、劉生の「表現」だったのか……。しかも麗子はグレることなく、その後画家となり、生涯にわたって精力的に制作を続けたという。

岸田麗子「自画像」 1921(大正10)年3月12日 個人蔵

 この事実を知っただけでも、劉生、麗子親子の関係や作品に関心が湧いて来るが、実は劉生の父・吟香も幕末~明治にかけて、ジャーナリスト、実業家として活躍した傑物。3代にわたってユニークな業績を残したこの岸田一族の系譜をたどろうというのが、世田谷美術館で開催中の「岸田吟香・劉生・麗子 知られざる精神の系譜」展だ。

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2014.03.01(土)
文=橋本麻里