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幸せの「メタルハライドランプ」
![メタルハライド電球がゆっくり光を放ち始めるその姿はなんとも幻想的。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/b/f/1280wm/img_bf760ad19ddc4893f4ee7a9ac7cd4a4d367591.jpg)
またもや特別に、明かりを点け灯室に入れてもらえることになったのだが、ここでちょっとしたハプニングがあった。
「ここで光源として使われているのは、メタルハライドランプです」
そういってスイッチを入れてくれたHさんに、初日から同行しながら灯台について教えてくれていた脚本家のYさんが「メタルハライドランプ!」と嬉しそうな声を上げた。
「運が良ければ点灯直後に緑色に光るのを見ることが出来ますよ。それを見られると幸せになれると言われていて、灯台好きの間では憧れの光景なんです!」
説明を受け、「なんと、それは是非見ないとですね」とわくわくしながら私が相槌を打った瞬間、その場にいた全員がはたと顔を見合わせた。
![安乗埼灯台には日本で初めて、回転式のフレネル式多面閃光レンズが用いられた。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/2/d/1280wm/img_2d0769393167d0783b38a79d7fe55f4b368734.jpg)
この時、我々は光源のある灯室のすぐ下のエリアにいた。
肝心の灯室に入るには、ここから梯子を上らなくてはならないのだが、梯子にはパネルがついており、今すぐ使える形にはなっていなかったのだ。しかし、すでにランプのスイッチは入っている。
緑の光が見られるのは点灯直後のみだ。
あっと言う間に、その場はパニックに陥った。
「あああ、すみません。パネル、今すぐ外します!」
「外してたら間に合わないですよ!」
誰も、まさかこんな時間との勝負になるとは思っていなかったがゆえの悲劇である。皆でわあわあ言いながら、「とにかく阿部さんだけでも上に……!」とゾンビ映画で最後の希望を託された主人公みたいなセリフを編集Sに言われ、私は叫んだ。
「パネル、このままで行けます!」
私は群馬のド田舎で生まれ、幼少期の趣味が木登りだった女である。
20年近いブランクはあるし昨年には膝の靱帯を断裂して1カ月入院していた身であるが、この瞬間だけは赤城山育ちの血が爆発した。
「阿部さん、危ない!」
「お願いですから無理しないで!」
「そっち、そっちに足かけて下さい!」
周囲の悲鳴からして華麗に登れたわけではないのだろうが、私はなんとか灯室によじ登ることに成功した。
そして、噂のメタルハライドランプを見た。
緑―というよりも、それは薄い青色を帯びた光だった。
これが噂の緑の光なのかは定かではないが、瞬きのうちに光は真っ白になったので、点灯直後だけ見られる色だったのは確かだろう。その後、登って来た人達はあの色を見られなかったので、私を優先して押し上げてくれたおかげで、間一髪、貴重なものを見せて頂けたようだ。
![1日に1回、点灯のタイミングでしか見ることのできない緑色の光。貴重な光を体験した阿部さん。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/7/e/1280wm/img_7e142bf7e530f3cf2ae69cfba420dfc0672455.jpg)
安乗埼灯台の灯室は、潮岬灯台や樫野埼灯台に比べて随分と狭くて、屈まないと鉄製の天井に頭をぶつけてしまいそうだった。
だが、そこからの光景は絶景であった。
風が強いせいか、空には雲ひとつなく、白波の立つ海は鮮やかなエメラルドグリーンをしている。狭い灯室から広大な海を望むと、なんだか、自分が急に小人になってしまったかのような、不思議な感覚がした。
2023.05.06(土)
文=阿部智里
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2023年5月号