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灯台のレンガにまつわる逸話とは

 そしてこのレンガには、ちょっとした逸話があるという。

 これらのレンガは、地元に住んでいた二人の瓦職人が手がけたものだった。その職人のうちの一人、竹内仙太郎さんは、ブラントンが作った他の灯台にも関わっていたために名前が知られていたのだが、もう一人については名前も分からず、全てが謎に包まれていた。

 しかしある時、謎の瓦職人のてがかりが見つかった。この灯台で子孫の方が崖を見て「おじいさんの作ったレンガが打ち捨てられているのが悲しい」と泣いていたことが切っ掛けとなったのだ。

 その後調査が進み、謎の瓦職人は神明村の「山崎清十郎さん」という方であったと確認が取れたのだった。

 このレンガは、モルタルを塗って接着しやすくするため、わざわざ面にへこみが施されていた。自己流のレンガを作るため、おそらくはたくさんの工夫と努力があったのだろうが、上野公園で開かれた博覧会で、竹内さんはレンガを、山崎さんは瓦を出品したとのことで、職人としてのスタンスには違いがあったことが窺える。

 一方、点灯当初にあった旧灯台は、潮に強いケヤキ製であったらしい。

 一本柱の通った五重塔のような作りであり、台座は大変珍しい八角形をしていた。一度解体されてから東京の浜離宮公園に移され、その後またまた移転して、現在はお台場の『船の科学館』で展示されている。

「しかし、あっちこっち行かされて灯台も可哀想だ。あそこで落ち着ければいいんだけど……」

 ふと漏らされたHさんの言葉に、私は少し驚いてしまった。

 それまで、Hさんはずっとにこやかに、しかし理知的な口調を崩さずに灯台の説明をしてくれていた。しかしその言い方は、まるで灯台が生きているかのようだった。

「今は住み込みではないそうですが、灯台守の方って、全国の灯台に赴任されるんですよね。Hさんが今まで行かれた灯台の中で、特に印象に残っているのはどこですか?」

 そうねると、「どこもそれぞれ良かったですが」と断ってから、水ノ子島灯台の名前を挙げられた。

 水ノ子島灯台は、ちょうどここに来る直前の車の中で、灯台守のお仕事の大変さを紹介する例としてYさんから聞いたばかりの名前であった。豊後水道の中間地点、絶海の孤島ともいうべき場所にある灯台であり、他に楽しみがないので、やって来る海鳥とたわむれる灯台守もいた―というエピソードを教えてもらったのだ。

 それを言うと、「鳥は確かにすごかったです」とHさんはしみじみと頷いた。

「何せ海の真ん中なので。他に羽を休められる場所がないから、霧の中、たくさんの鳥が灯台の光に集まって来るのが分かるんですよ」

 それだけを聞くとヒッチコックの映画『鳥』のようで恐ろしいが、面白いこともあったと言う。

「ある時、何をどう迷い込んだのだか、鳩がやって来たんです。どう見てもお前海鳥じゃないだろと思ったんだけど、弱っていたので可哀想になって、一時的に保護してやりました。ちゃんと元気になって飛んで行ってくれて、ああよかったと思っていたら、私が留守の間に仲間を連れて戻って来たんですよ! 多分、ガールフレンドでしょうね。流石にお前、それはないぞと思いましたが、私と交代で灯台に勤務する同僚に餌を貰えなかったらしく、諦めて帰って行きました」

 そう語るHさんの様子は、なんとも楽しそうだった。

2023.05.06(土)
文=阿部智里
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2023年5月号