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地域をつなぐシンボル

 回廊に出て陸地のほうを振り返ると、灯台まで続く道の両側は切り立った断崖となっていた。右手には的矢まとや湾、左手には太平洋が広がっている。海水の透明度が高いせいか、ごつごつとした岩礁がはっきりと見て取れた。

「このあたりは暗礁が多い海の難所なんです。大王埼だいおうさき鎧埼よろいざきと合わせて『志摩三埼』と呼ばれています」

 Hさんが指さしながら説明することには、安乗港は、天領の御城米ごじょうまいを江戸へと送る西廻り航路の主要港であったという。難所を越えた後に寄港し、支度を整えて順風を待つ「風待ち港」であったのだ。

 西廻り航路を開拓したとされる河村瑞賢かわむらずいけんは南伊勢町出身であり、開拓当時から安乗岬には明かりが点っていたらしい。

 灯台巡りが始まってから何度も名前を聞き、すでにお馴染みとなったリチャード・ヘンリー・ブラントンさんがここに西洋式灯台を建てる前は、燈明堂とうみょうどうが灯台としての役割を果たしていたのだ。最初に燈明堂が建てられたのは340年も前のことで、当時は3メートルほどの塔を建て、水を弾く油紙で囲った中で菜種油や薪を燃やしていたのだという。

「その後、ブラントンが最初にここで建てた旧灯台は木製で、官舎や倉庫はレンガで作られていました」

 そこまで聞いて、私は「あれ?」と思った。

 前日、前々日に巡った2つの灯台では、灯台のすぐ隣に官舎があったのだが、安乗埼灯台の周辺に官舎は見えない。

「実は、官舎はこの灯台よりも先にあったんです。でも、波による浸食が激しくて、崩れてしまったんですよ」

 それだけ、過酷な場所だということだろう。岬の突端部分の崖には、官舎で使われていたレンガが散らばっていたらしい。

2023.05.06(土)
文=阿部智里
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2023年5月号