退院、そして「治療の始まり」
切除した腫瘍は15ミリ。あと1ミリ進行していれば大胸筋に達していたという。筋膜とともに切除されたことで「陰性」と判断され、転移もなかった。がん検診で早く見つけられたことが、まさに幸運だったと感じた。
手術翌日には自分で歩けるようになり、術後3日で退院。経過は良好だったが、リンパ浮腫を防ぐために「左手で重い物を持たない」「採血は右手のみ」といった注意点が加わった。
最初の検診からわずか2カ月足らずで腫瘍を取りきることができたが、これは終わりではなく、治療の始まりだった。
お金の心配を払拭してくれた「高額療養費制度」
たとえ“ステージ1”であっても、乳がんの治療にはそれなりにお金がかかる。MRI検査やPET-CTなどの術前の検査、入院や手術費、放射線治療、抗がん剤治療、そして5年から10年ほど薬を内服しなければならないホルモン治療など。私の場合、手術は治療の入口で、乳がんの標準治療が終了するゴールは遠い。
乳房の部分切除とセンチネルリンパ節生検を行った場合、入院7日間で総額はおよそ80万円。3割負担でも24万円ほどになり、事前の検査費も合わせると決して安くはない。
そこで助けになったのが「高額療養費制度」だった。この制度では、収入に応じて1カ月あたりの自己負担額に上限が設けられており、その金額を超えた分は後から払い戻される。
たとえば所得が約370万円~770万円の人(70歳未満の場合として)の場合、自己負担の上限はおよそ8万円前後。さらに同じような高額治療費の支給が1年のうちに3回を超えると、4回目以降の上限は約4万円に下がる仕組みになっている。
この制度を利用した結果、4泊5日の入院費は大幅に抑えられた。室料無料の病室に入れたこともあり、思っていたよりも経済的な負担は少なかった。
加入していた保険が支えになった
さらに、20代の頃に加入していた医療保険にも救われた。契約内容に「9つの重度生活習慣病に該当すると一時金が支払われる」という項目があり、その対象に乳がんが含まれていたのだ。
一時金のほか、抗がん剤治療や入院費も申請でき、診断書の提出など多少の手間はあったものの、支払いはスムーズだった。
また、この保険ではセカンドオピニオンを受ける際のサポートも用意されていた。
加入当時は病気になることなど想像もしていなかったが、実際に支給対象となったとき、心から「入っていてよかった」と感じた。ちなみにステージ0(非浸潤がん)だったら支給対象外だという。
手術を終え、腫瘍を取りきったことで、ようやく“治療が終わった”と思っていた。けれど、そこからが本当のスタートだった。放射線、抗がん剤、ホルモン療法――。
後篇では、治療の副作用や体と心の変化について、私の経験をお伝えしたい。
» 【続きを読む】「髪を失っても、私は私だった」乳がんを経験したライターが語る“治療の日々”〈後篇・放射線~抗がん剤治療〉
