ジュノンボーイ出身ながら、「痛快TVスカッとジャパン」などでのコミカルな演技でお茶の間でも注目の戸塚純貴。福田雄一監督との出会いによる路線変更など、約10年に及ぶキャリアを振り返ってもらいました。

●知らないあいだに、母親が「ジュノンボーイ」に応募

――戸塚さんの幼い頃の夢は?

 野球選手でした。小学生のときに地元のリトルリーグに入り、中学生では軟式野球部に入って、高校まで続けていました。

 ただ、中学ぐらいから、クルマの魅力にとりつかれたので、将来は自動車整備士になりたいとも思っていました。

――クルマの魅力にとりつかれたきっかけは?

 ヒップホップ好きな兄の影響もあって、MTVで放送されていた「Pimp My Ride~車改造大作戦!~」(クルマ版「劇的ビフォーアフター」)という番組を見たのが、きっかけです。

 ボロボロのアメ車がイカしたクルマに改造されていく様を見るのが楽しくて、クルマに乗るというよりは、改造、カスタムする人になりたいと思ったんです。

――戸塚さんが知らぬ間に、お母さんは10年に行われた「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に応募されたそうですね。

 正直、勉強ができるほうではなかったんです。先生から自動車科のある高校を勧められたので、そこに進学して、専門的な知識を学びました。

 その後、遊びでバイクなどもいじるようになっていたのですが、就活のタイミングのときに、母親がジュノンボーイに応募したんです。

2020.03.27(金)
文=くれい響
撮影=鈴木七絵