知英が主演を務める青春サクセスストーリー『私の人生なのに』で、相手役を演じた稲葉友。ジュノンボーイ出身の彼が注目を浴びることになった「仮面ライダードライブ」の裏話など、これまでのキャリアを振り返ってもらいました。

いつか、教師になると思っていた

――幼少時代の夢を教えてください。

 小1のときから野球をやっていたこともあって、小学校の卒業文集などには「プロ野球選手になりたい」と書いていました。でも、両親が二人とも教員だったので、どこかで大人になったら「僕も学校の先生になるんだろう」と思っていたんです。そして、兄二人も野球をやっていたことがイヤだったので、僕は小6でやめて、中学の3年間はバスケ、高校に入って1年間はハンドボールをやっていました。

――高校時代には、バンドを組まれていたんですよね?

 ハンドボールをやめて、高校2年になるぐらいのときに、地元の友だちに誘われて、バンドでヴォーカルをやっていました。ポルノグラフィティやRADWINPS、オフスプリングなどのコピーだけでなく、オリジナル曲もやり、町田や八王子のライブハウスに定期的に出ていました。でも、プロを目指すつもりはなかったので、特にCDを制作してどこかへ持ち込むようなことはしていませんでしたね。そのときも、教師になるつもりだったので。

2018.07.06(金)
文=くれい響
撮影=佐藤 亘