芸能界入りの後押しとなった
父の言葉

――2009年、16歳のときに「第22回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」において、15000人の中からグランプリを受賞します。

 履歴書を書かずに写メで応募できたこともあって、かなり軽いノリで応募しました。でも、グランプリを獲った後、父親から「お前は15000人を蹴落とした責任がある」と言われたんです。父親は特に芸能の世界について詳しかったわけではないですが、その言葉が後押しとなって、この業界に入る決心がついたんです。当時のインタビューでは「音楽とお芝居が両方できる人を目指す」と言っていたと思うんですが、お芝居はまったくやったことがなかったので、正直な話「自分に、できるんだろうか?」と思っていました。

――そんななか翌10年、ドラマ「クローン ベイビー」で俳優デビューされます。松坂桃李、山﨑賢人ら、若手キャスト中心の現場の雰囲気はいかがでしたか?

 とても有難いことに、いい人たちばかりで、楽しい現場でした。そこでやっていくなかで、今後もお芝居をやっていきたいという決意が固まっていきました。同世代もそうですが、40代、50代の先輩たちとも、お芝居を介することによって対等な関係になれることも新鮮でした。あと、松重豊さんのお芝居を目の当たりにしたとき、無条件にスゴいものを見せられたと感じたことを覚えています。

2018.07.06(金)
文=くれい響
撮影=佐藤 亘