きょうだい間の対比を描きたかった
――この第1話は、〈米山和美マンダンダ〉の弟が、改名して自分の名前から〈マンダンダ〉を削除したと告白する場面から始まります。きょうだいや親子でさえ、考え方にこうした相違があるということもカルチャーショックでした。
藤見 第1話では、まずきょうだい間の対比を描きたかったんです。
――姉は自ら「アフリカ系女子」とキャラ付けし、ライターとして活躍しています。一方、弟はこれまで周囲から見た目をいじられてきた苦しみから、できるだけ目立たずに生きたいと思っている。とはいえ、明るく楽しくやっているように見える和美も実際は苦しみを抱えています。
藤見 自分で自分を抑圧してきた人が爆発するところを描きたかったんです。主人公は一番の親友で仕事の相棒でもあるシバタの言葉に傷ついて爆発しますが……とはいえ、シバタが一方的に悪いようには描いていません。和美も自暴自棄になっていて、大事なことを伝えてこなかったのだと。この辺りの描き方もバランスも難しかったですね。こういうことをマンガで描いている例があまりないので。
ここ数年、日本でもLGBTQ+の描写については「この認識は古いし偏見を招くから、こういう描き方はしない方がいい」という指針が明確になりつつあります。批評の方もすごくアップデートされている体感がある。でもエスニシティについてはまだ前例が少ないので、どういう描き方がベターなのかよくわからず手探り状態なんです。
ルーツが違う親子の複雑な関係
――近年「多様性」という言葉が広まりましたが、その本質はまったく理解できていないと自覚しました。単なる言葉狩りになってしまっては何にもならない。すべてケース・バイ・ケースなんですよね。『半分姉弟』はまさにそれを描き、安易なハッピーエンドではなく「わかり合おうとする」人々を描くマンガなのだと思いました。
藤見 希望を描きたいなとは思うんですけど、あまりにすべてが解消されると大嘘になってしまうから、手が届くくらいの希望が描きたいなと思って。社会が大きく変わるというより、身近な人との関係が少し変化する「一歩」を描くということなのかなと。人と人の間に発生することが描きたいなと思っています。それを積み重ねていくことで社会も変わっていく気がしています。
――第2話の主人公・紗瑛子は日本人と中国人のハーフです。見た目でハーフとわかりにくければ悩みがないかというと、そういうわけではありません。
藤見 日本で暮らしているハーフって、じつは中国とか台湾、韓国とか東アジア系が一番多いんですけど、メディアなどでは見た目の違いで苦労する話が前に出てきやすいので、こういう話が描きたいと思っていました。
――親子の間でもこうした隔絶があるとは想像できませんでした。
藤見 そもそもハーフの人って親とも複雑な関係になっている人が少なくない気がします。親と子で見えている世界が違うわけですから。この親子の話はリアリティというよりはある種の願いとして描いています。外国出身の親も日本という異国で暮らすマイノリティだから、単にひどい親みたいな描き方は少なくとも現状はできないなと。当事者の方が読んだら「ヌルい」と思うかもしれませんが。マンガというメディアは良くも悪くもとても敷居が低いので、差別や偏見を煽るような描写は極力避けたい。そういうバランスにもいつも悩んでいます。
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- 文=粟生こずえ
写真=平松市聖 - keyword
