しかし、叡山が施餓鬼会(せがきえ)をいくら行っても、京の市中へ向けてなけなしの米を施しても、そのすべてを飢饉という大津波があざ笑うように飲み込んでしまう。

 一方、叡山には餓死者はなかった。少なくとも、恃照はそのような話をついぞ聞かなかった。

 恃照は僧としての己、寺院としての叡山について、疑念を抱かざるを得なかった。

 信州(しんしゆう)善光寺(ぜんこうじ)では、餓死者が山積することにたまりかねた高僧が、寺院の蔵米のすべてを三千人以上に上る檀家らに惜しみなく分け与えたという。

 叡山には、このような中で民に施すべきことが、やろうと思えばやれることがまだあるのではないか――。

 飢饉が収まる気配のない中、恃照の師憲雄は己の千日回峰を着々と満行へと近づけていた。憲雄が無事堂入りを終えた後、(きよう)大廻(おおまわ)りの後押しとして恃照が憲雄に付き従った際、恃照は久方ぶりに京へ下りた。

 地獄絵図のようであった。

 憲雄が歩く先、どこにでも(むくろ)が重なり合っていた。そこには、堂入り最中の行者が纏うのとは違った意味での屍臭が満ち満ちていた。

 憲雄に加持を求めて跪く民は皆無である。恃照が後ろから眺めるに、憲雄はあてどなく地獄をただ一人で歩んでいるようであった。

 その師の背が、恃照に語り掛けた。

 恃照よ、よいか。

 このありさまを、ゆめ忘れるでないぞ。

 たとい軀しか転がっておらぬとしても、そこへある人々のためにできることがあるなら、わしらは足を向けるべきなのじゃ。

 わしらはたった一人でも、できることはあるはずじゃ。そこへたった一人の民しかおらぬでも、我らに施せることはあるはずじゃ。お主ならきっと分かろう――。

 憲雄は決して声にはせぬが、恃照にはその背がそう説いているようにしか思えなかった。そのような恃照が憲雄に(なら)って……と千日回峰行への思いを強くしたのは、自然と言えた。

 恃照が行の発願を打ち明けたとき、しかし憲雄は猛反対した。まるで叡山一山の高僧すべての怒りをまとめて背負ったかのような形相であった。

2025.09.22(月)