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私はもっと、ちゃんときれいに燃えてみたいのに

 「全然ダメ。亜和、それじゃ聞こえないよ」

 ダメなのか。でもなんとなくそうだろうなとも思っていた。少しムッとしながら「はい」と小さく返事をする。もういちど私のパートから芝居が再開されて、さっきよりも少し声を大きくしてもういちどセリフを言った。

「変わんないじゃん。聞こえない聞こえない」

 また私から。また止められる。止められるたびに熱湯がブクブクと身体の奥からせりあがってくる。またダメ。もういちどやる。何度か繰り返したあと、演出家が大きくため息をついて「中断」とぶっきらぼうに言った。芝居が止まった。私のせいで。私はみんなに迷惑をかけている。ワークショップではあんなに褒められたのに、どうしてここでは全然ダメなんだ。恥ずかしさと苛立ちで気持ちがぐちゃぐちゃになる。静まり返った稽古場の隅っこで私の中の制御できないものが暴れ出すのがわかった。じゃあどうしたらいいのか。どうしたら満足してもらえるのか。ちくしょう、なんでできないんだ。頭の中で誰かが「やれ! やれ!」と喚き散らしている。震えだしそうな拳を割れるほど握りしめて、私は誰もいない壁の方に向かった。それから大きく息を吸い込んで、ありったけの大声で「ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」と叫びながら両腕を振り回した。自分の大声にびっくりして、身体が燃えるように熱くなる。私は頭がおかしくなってしまったんだろうか。滲む視界の端で、みんなが呆然と私を見つめている。悔しい、悔しい、これで満足か。もう知らない、馬鹿みたい。握りしめた手のひらからどんどん汗が湧き出てくる。勝手に涙も溢れてくる。結局私は自分の手綱を放り投げてしまうのだ。私はもっと、ちゃんときれいに燃えてみたいのに。数秒のあいだ叫び続けて息が切れ、私はいつもの白けた顔に戻った。演出家が少しニヤけて「じゃあ、もう一回」と言って手を叩く。それから私はどんなふうに再び芝居を始めたのか、もはや記憶には残っていない。

 30歳が近づいてきて、少しずつ汗をかくようになってきた。私はあの頃よりずっとおしゃべりで、表情も豊かだ。身体に少しずつ、穏やかに燃える小さな火が灯っているように感じている。今キーボードを叩く指先はほんのりと温かい。いまだに冷めてしまうこともあるけれど、もしかすれば、こうしてなにかを書き続けることで、私は静かな自分のまま、きれいに燃えることができるのかもしれない。ほとんど歩くような小走りで、書く仕事を続けている。今の私はたぶん、生きている。

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伊藤亜和(いとう・あわ)

文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。その他の著書に『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)。

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Column

伊藤亜和「魔女になりたい」

今最も注目されるフレッシュな文筆家・伊藤亜和さんのエッセイ連載がCREA WEBでスタート。幼い頃から魔女という存在に憧れていた伊藤さんが紡ぐ、都会で才能をふるって生きる“現代の魔女”たちのドラマティックな物語にどうぞご期待ください。

2025.08.05(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香