東京から車でおよそ2時間。山梨県北杜市で過ごす毎日には、自然の恵みがあふれています。地産地消が自然に行われ、野菜くずやゴミから栄養のある土ができ、次の命へと繋がっていく。その循環のなかで生きることが、体と地球を守ることにつながっています。
自分のことを好きになれる生き方を選ぶ
地域で育てて地域で消費する、顔の見えるやりとり

八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳などに囲まれた北杜市は、有機農業がさかんな街。日本の有機農業の取組面積が0.6%であるなか、北杜市はおよそ2%の農家が有機農業を営んでいます。
山戸さん夫妻が東京三鷹市からこの土地に移り住んできたのは、12年前。東日本大震災のこともきっかけに、これからの生き方を考えて山暮らしを選びました。
「ここに住んで、本当にすべてのことが変わりましたね。ちょうど料理研究家としての仕事が軌道に乗ったころに移住を決めたので、まわりからは“本当に行くの?”と何度も聞かれました。でもわたしたちのなかでは迷うことはなかったですし、自然な流れでここにたどりついたというか」
――東京での暮らしも、自然は感じられる場所だったのですよね。
「そうですね。吉祥寺のはじっこだったので、緑は多いところでした。わたしは東京生まれなんですが、子どものころも庭に大きな柿の木があるような家に住んでいて、母が落ち葉を集めて焚き火してくれて焼きいも焼いたり、枝や葉っぱでおままごとしたり。そんな子ども時代だったので、東京だからといって、極端に都会的な暮らしというわけではなかったんです」
――仕事も軌道に乗りはじめ、東京での生活も自然と縁遠い場所というわけでもなかった。そのなかで、移住という選択をしたのは?
「原点という意味では、阪神淡路大震災ですかね。人がずらりと並んで水を求めているニュース映像を見て、『そうか、災害があったら水がなくなってしまうんだ……』ということにハッとしたんです。人間って、水と空気がないと生きていかれないじゃないですか。それなのに都会では、すぐに汲んで飲める水は手に入らないし、空気への不安もある。最初はそんなところから、自然のなかでの生活を考えはじめました。
もともと両親が山登りをしていたし、自然のなかで遊ぶことも好きで。結婚して、夫と一緒にキャンプや山登りを重ねているうちに、東京じゃない場所で暮らしたいという思いがどんどん強くなっていき、そんななかで東日本大震災があって。ああ、もうここじゃないかなって、移住を決断しました」
――移住してみて、いちばん東京と違ったのはどんなところでしょうか。
「なにもかも違うには違うのですが、時間の流れ方が全然違うんです。太陽の光の傾き方、風の吹き方、音、におい……。一日のなかでも大きな変化を感じるし、長く暮らしていると、季節の変化を些細な違いで感じられるようになります。五感がすごく研ぎ澄まされていって、ただここにいるだけで心豊かになったというか」
――何かを選ぶときの基準も変わりそうですよね。
「あんまりモノを欲しくならなくなったかもしれません。以前はちょっと出歩くといろんなものが目に入るので、帰り道にふらっと駅ビルに入ってなんとなく買ったりしていましたけど、今はそもそもそういうお店がないですからね。
もともとモノをあまり持ちたくないタイプではあったんですが、“自分が生きてくのに、それ本当に必要かな?”みたいなことは、北杜市にきてより考えるようになりました。あとは、“これを使っている自分がいやだな”っていうものは買わなくなりましたね。スポンジひとつでも、自分を好きになれるような、背景のある商品を選ぶようになりました」
2025.02.26(水)
文=吉川愛歩
写真=寺澤太郎(ポートレート)