この記事の連載

斜面に沿う家

 働き方の変化にともない、都会暮らしにとらわれる必要がなくなった。はからずも感染症の流行がきっかけとなって時代はシフトし、暮らし方を見つめ直した人も多いだろう。テレワークの普及から、都会から地方へ移住したり、多拠点生活をはじめたり、そんな話が珍しくなくなった。

 そんな中、自然と世俗がいい形で共存している「軽井沢」という場所に魅かれ、緑に囲まれた森暮らしを始めた人たちがいる。感性豊かな人々が実践する新しい生活スタイルをのぞいてみよう。

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「軽井沢に別荘を建てる」なんてサラリーマンにできるわけない。夢のまた夢と思っていたけれど…

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「人生を変えたい」そう思ったときまだ20代だった彼女はひとり、森の中に小さな家を建てることにした


10年の月日をかけ、ふたりの別荘は東京になった

 「そこで何をしたいんですか?」と、モリノイエの人たちに聞かれた。「どういう別荘を建てたいんですか?」ではなく。だからKさん夫妻はこう答えた。「風呂に入ってゆっくり寝たいだけです。とにかくボーッとしたいんです」

 多忙を極める日々だった。猛烈な勢いで仕事をこなし、夫婦ともども疲れ果てていた。そして変な話、こういう言い方もした。「スッポンポンで歩いていても、誰からも見られないようにしてください。軽井沢の別荘だけど、パーティーとかもうちはしませんから。ふたりで来て、ボーッとして帰るだけなので」と。

 最初の設計案が出てきた。何気なく「普通ですね」と言ったところ、彼らの魂に火を付けたのか、次に出てきた案は斜面に沿うようにして建つ、アクロバティックな家だった。これならプライバシーも完全に保たれるという。その分前庭が広く設けられ、駐車場から玄関までボードウォークでつながれていた。「あっ花が咲いたな、葉っぱの色が変わったな、なんてドキドキしながら家に入るのがいいんです」と、真顔で言われた。他にもあれこれと言われた「こうしたほうがいい」を、すべて任せることにした。当時はまるで意味が分かっていなかったが、実際に住んでみると、光の入り方や家具の選び方まで「こういうことか!」の連続だった。やはり餅は餅屋だと思った。

2023.02.17(金)
文=山村光春(BOOKLUCK)
撮影=松村隆史