この記事の連載

 自身も知人の自殺を30年以上引きずっているという、脳科学者の中野信子さん。なぜ人は死にたくなるのでしょうか。中野さんが脳科学の観点から人生相談に答えた『悩脳と生きる』から、一部再構成してご紹介します。


「死にたい」という言葉の裏にある本音

 コロナ禍では全国で自殺が急増し、芸能人の方が命を絶たれるという痛ましい報道も相次ぎました。日頃から活躍ぶりを見ていた人のあまりに突然の自死にショックを受け、同時に釈然としない思いを抱えている方も多かったと思います。

 私は学生時代に親しくしていた先輩の自殺を30年経った今も引きずっています。

 彼女の死も突然でした。また会う約束をしていたのに、約束の日の数日前にかかってきた電話は彼女が亡くなったという(しら)せでした。美しく、さっぱりとした性格で、阪神淡路大震災のときは学生ボランティアとして駆けつけ、何でも積極的に取り組む人でした。

 でも、今ならわかります。明るくて正しいメッセージを発し続けている人は、かえって闇が深くなることもあるということを。

 そして溺れる人は、誰にも気づかれないうちに静かに沈んでいくのだということも。

 苦しくても前向きでいなければならないと、心の内でそうなれない自分を密かに責め続け、誰にも助けを求められずに亡くなってしまった人がどれほどいたことかと思うのです。

 死にたいという言葉の裏にある本音は、消えてしまいたい、ではなく、苦しいまま生きているのが辛い、という気持ちでしょう。本当は生きたいからこそ、言葉にするのではないでしょうか。

ひとりでいると、自分をネガティブに評価する

 2019年まで自殺者数は10年連続で減少し、警察庁による毎月の速報値も2020年6月までは前年同月と比べて減少を続けていたのですが、7月以降は増加の一途をたどりました。10月は2153人が亡くなり、これは前年同月比で約40%増、女性に限れば実に約83%増ですから、ほとんど倍増といっていいでしょう。

 コロナ禍の影響が疑われ、「ひとりでいること」の弊害が考えられます。

 たとえ家族がいても、友だちがいてもディスタンスを取る。もちろん、感染予防のためには大事なことです。しかし、人はひとりでいるとき、自分をよりネガティブに評価します。

 測定器の狂い・精度を、ある基準量を用いて正すことを「較正(こうせい)/カリブレーション(calibration)」といいますが、ひとりでいると、自分の評価基準を較正できなくなるのです。

2025.08.08(金)
文=中野信子
写真=平松市聖