泉鏡花の幻想的な戯曲を坂東玉三郎さんが、独自の美意識で演出し、主役の富姫を演じる『天守物語』。歌舞伎座で上演中の舞台で富姫と運命的な出会いをする姫川図書之助を演じているのは市川團子さんです。

 この企画の実現は、今年2月、新橋演舞場で上演された團子さん主演のスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』を玉三郎さんがご覧になったことがきっかけでした。團子さんにとってこの舞台がかけがえのない経験となるであろうことは必至です。舞台に取り組む團子さんの現在の心境とは? プライベートも交えてお伝えします。


本読みでの玉三郎に衝撃

――坂東玉三郎さんの抜擢を受けての『天守物語』、どんな思いで舞台に立っていらっしゃいますか?

とにかくまずせりふを一言一句きちんと届けられるようにしなければという思いで、そこからの始まりでした。日々心がけるようにしてはいるのですが、感情でいっぱいいっぱいになるとなかなかそうもいかず、難しさを実感しています。

――一音一音が連なって言葉になり意味をなす、ということに改めて気づいたような?

まさしくそんな感じです。それを声に出して表現することがこんなにも難しいのかと思いました。これまでの自分にはその意識が足りていませんでした。

――開幕前に行われた取材会では「相手の感情を受け止めて芝居をする」ことが課題ともおっしゃっていましたね。

 今回は立稽古の前に座ったままの“本読み”から始まったのですが、その段階からこんなにも気持ちを込めて話しかけてくださるのか! という玉三郎さんの姿勢に驚き、衝撃を受けました。そしてそれよって芝居はこんなにも変わるのだということを実感として知り、自分もそうでなければと思いました。

――今、それは実践できていますか?

 まだまだです。この間も玉三郎さんから「私が喋っているうちから反応しているよ」というご指摘を受け、「日本語は最後まで喋らないとどっちの意味になるからわからないのだから」という言葉に、確かにそうだ! と思いました。当たり前といえば当たり前ですが、そういうシンプルなことをきちんとやっていくことがとても大事なのだと思いました。

理屈やプロセスよりその場で感じた気持ち

――謙遜なさっていますが、図書之助としての思いはきちん客席と届いていると思います。終演後の拍手がそれを物語っていますし、観客の舞台への集中度には目を瞠るものがありますから。

 ありがとうございます。難しい戯曲ということもあり最初は無意識に何か理屈をつけたくなっていました。

 例えば「(富姫の)お顔が見たい」というせりふひとつとっても、なんでお顔がみたいんだろう? と考えてしまったり……。でもそれは理論じゃないんですよね。本当に心から顔が見たいと思った、ただそれだけのシンプルなことなのだと自然に思えました。

――文字で読んで頭で考えていた時と異なり、実際に図書之助として富姫を目の前にしたら自然に湧き上がる感情として納得できた?

 そうです。それは『ヤマトタケル』でも思ったことでした。最初はタケルの気持ちを複雑に考えがちだったんです。ですが演じているうちに「なんか違うな」と思うようになり、回数を重ねるほどどんどんシンプルになっていったんです。プロセスを踏んで頭で考えることも大切ですが、その場で感じた気持ちを大切にすることにより、発見できたことだと思います。

――最初に理屈ありきではない、と?

 考えてみれば普段の生活だってそうですよね。人間はいつも複雑にものごとを考えて言葉を発しているわけではない。そこに気づいてから自分の中で台本の解釈がどんどん面白くなっていきました。

 以前、ある演目の稽古がひと通り進んだところで「あとは自分で肉付けして」と言われたことがあるのですが、その時はどうすればいいのかわかりませんでした。でも台本をよく読めばどこかに答えはあるもので、それを見つけるのはとても楽しいことだと気づきました。

――なるほど。『天守物語』に則して何かそうした気づきの例を挙げていただけますか。

 例えば……。図書之助が仕えている殿様、つまり播磨守がどういう人物であるか先走って勝手に想像していたんです。でも富姫のせりふにちゃんと答えがありました。それは逆説な表現も含まれているのですが、そこからいろいろと想像が膨らんでいく。台本を丁寧に読んでいくとさまざまなヒントがあり、見落としがちな部分に大切なことが書かれていたりすることもあるのだと知りました。

2024.12.20(金)
文=清水まり