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 浅草公会堂で公演中の「新春浅草歌舞伎」では第1部、第2部それそれで『絵本太功記』を上演。主人公の武智光秀をダブルキャストで演じているのは、中村橋之助さんと市川染五郎さん。インタビュー後編では第2部の光秀、世代交代で公演のリーダーとなった橋之助さんにこれまでの経験を踏まえて、役や公演への思いを伺いました。

 武智光秀は史実の明智光秀のことで、上演されている「尼ヶ崎閑居の場」は光秀の母・皐月の住まう庵室で起る、本能寺の変直後の物語。誰にでもわかりやすいとは言い難い古典の作品なのですが、劇場を訪れてみると舞台の行方をじっと見つめる観客の姿がありました。何が人々を惹きつけているのでしょうか?

» 前編 「軽い気持ちでは臨めない」市川染五郎が出の前に「憂鬱になる」理由とは?〈浅草で魅了する“ふたりの光秀”〉


憧れの役を勤められる嬉しさを力に、大手を振って芝居ごっこを楽しむ

――「新春浅草歌舞伎」の記者会見で橋之助さんは「みんなが座頭という感覚で取り組んでいきたい」と話されていましたが、『絵本太功記』の光秀は座頭の風格が要求される役。橋之助さんの舞台での居ずまいには、この公演を背負うリーダーにふさわしい堂々たるものを感じました。今、どんなことを実感されていますか? 

 毎日、めちゃめちゃ楽しいです。もちろんご指導いただいた部分で苦しむところもありますけれど、充実感でいっぱいです。大立者という言葉がありますが、光秀がまさにそういう存在であると実感しています。

――辛いお役だということをよく耳にするのですが……。

 そこで起こっている出来事をすべて受け止めていく、ということに関して言えばもちろん辛いです。でもそれが嫌ではないです。憧れの役を勤められるという嬉しさを力にしている、ということもありますし、何より光秀には自分は正しいことをしているという思いがある。それが辛さと共存していますので。心の中にしっかりと自分の信じている道があるので負い目はひとつもない。今の時代、これが正しい表現なのかわかりませんけれども男らしさを感じています。

――ダブルキャストでの上演となっていますが、橋之助さん、染五郎さんぞれぞれのよさが出ていると思います。

 ありがとうございます。お互いに習った人へのリスペクトが色濃くでているのを感じます。染五郎くんを見ていると幸四郎兄さんをふっと思い出すことがありますし、自分も父親に似ているところがいっぱいあると思います。こうなりたい!という気持ちがどちらの光秀にもとてもよく表れていると思います。

――お父様の教えで印象に残っているのはどのようなことでしょうか。

 いろいろあるのですがひとつに「もっと目が生きていなきゃ」と言われたことです。人を殺した直後の、アドレナリンが異常に出ている状態なわけですから。殺人を犯した人がその直後にものすごく口数が多くなったり食欲が増したりすることがある、という話を耳にしたことがあるのですが、そういう異様な精神状態であるという面も持ち合わせて出ていく、ということです。

――出の前は緊張しますか?

 僕の場合は、無理に気持ちを落ち着かせようとか集中しようとか、特別なことはないです。それは父が「芝居ごっこを楽しむように演れ」と言ってくれたことも影響していると思います。

――大役に委縮しないようにと言う、お父様の思いやりなのでしょうね。

 憧れの役をできるという幸福感の中で、大手を振って芝居ごっこを楽しんでいる感覚があります。それが充実感につながっているのだと思います。実はこの体験を通してこれまでの人生で初めて思ったことがあるんです。

――どんなことでしょう? 

 言葉にするとあまりにも当たり前のことなのですが、光秀として僕が思っていることを竹本に語ってもらっているんだな、ということです。これまでも義太夫狂言は経験させていただいていますし、もちろん理屈としてはわかっていたことですが、それをひしひしと感じるんです。(三味線の)豊澤長一郎さんと(浄瑠璃の)竹本東太夫さんが、「橋之助くんはきっとこうやりたいんだろうな」というのをものすごく汲んでくださるんです。特に何か話をしたわけでもないのに。

――歌舞伎に関わる方々、お一人お一人の心意気を感じます。

 僕が一生懸命、それこそ車輪になってやっているのを目の当たりにしているからだと思います。“大落とし”なんてその最たるもので、僕の心も声も息も、竹本が見事に表現してくれています。「竹本に乗る」という言葉がありますが、それはこういうことなのだと実感しています。

2025.01.18(土)
文=清水まり