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海の安全を見守り続ける一つ目の巨人

 特別に入れていただいたレンズ室は、外から見た印象そのままに光あふれる場所だった。その中央に鎮座するレンズはこの部屋を治める王者の如き存在感を有し、窓から差し入る陽射しを受けて、四方八方にプリズム状の光を投げていた。

 円形のレンズが向かい合った形をしたこのレンズの直径は、なんと二・六メートル。十秒でひと巡りして、日本最大の光達距離である二十六・五海里、つまり約四十九キロ先の海にまで陸地の存在を知らせる。国内にも数少ない、第一等フレネルレンズだ。

 室戸岬灯台そのものの形が簡素な分、ますますレンズの存在感が際立つ。灯台が何のためにあるのかを改めて思い知らされずにはいられぬそのフォルムは、やはり海の安全を見守り続ける一つ目の巨人だ、とわたしは思った。

 レンズ室の床は鉄格子状になっており、梯子でワンフロア下がってから振り仰げば、フレネルレンズからこぼれた光が床の隙間から差し込んでいる。その色とりどりの輝きに、光とはこれほどに美しいものなのか、と溜め息がこぼれた。

 ただこの室戸岬灯台は受難の多い灯台で、昭和九年には室戸台風の直撃により、レンズが破損。更にその修理が終わって間もない昭和二十年には、太平洋戦争に伴うアメリカ軍の機銃掃射を受け、レンズと灯台に被害が出たという。

「ということは、先ほど御寺で見たあの痕は」

 振り返ったわたしに、島田さんがええとうなずいた。

「その時、あおりを喰らって攻撃を受けた痕です。幸い死者は出ませんでしたが」

 海の安全を守る灯台は、こと戦争という局面に至っては攻撃の矢面に立つ存在だった。当時、室戸岬灯台では植物等でカモフラージュを行ったが、見晴らしのいい高台に建つ灯台を隠し通すことは難しかったらしい。

 言われて見回せば、壁のところどころには四角い補修跡があり、中にはご丁寧に「機銃掃射痕」と説明プレートがつけられているものまである。

2024.02.15(木)
文=澤田瞳子
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年2月号