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お大師さんが生まれた所
海から吹き付ける風が強いため、山肌に茂る植物はみな低く枝を這わせ、独特の樹形をしている。中でも目立つのは椿の藪で、澄んだ陽射しを照り返す葉のきらめきに、自分が南国にいるのだと改めて思った。
ふと見れば、そんな濃淡の目立つ緑のただなかに、高さ十数メートルはあろうかという僧形の像が建っている。左手に数珠、右手には錫杖を持っているが、その面相は若い。
室戸岬は弘法大師・空海が悟りを開いた地とされており、彼が記した「三教指帰」を始め、この地と空海のゆかりを記す書物は数多い。
平安時代末期に記された『今昔物語集』の巻十一の九は、空海の生涯の記録だが、そこには日本各地で修行を行った若き日の空海が、
「土佐ノ国ノ室生門崎ニシテ、求聞持ノ行ヲ観念スルニ、明星、口ニ入ル」
と記されている。この室生門崎は現在の室戸岬。また求聞持ノ行は虚空蔵求聞持法とも呼ばれ、知恵を得るための修行だ。
というわけでここからご案内を下さったのは、室戸岬にほど近い最御崎寺の前住職の島田信雄さん。最御崎寺は四国八十八ヶ所霊場第二十四番札所で、正式な寺号を室戸山明星院という。
「お寺に向かう前に、まず弘法大師が悟りを開かれた場所にうかがいましょう」
と島田さんが入って行かれたのは、切り立った崖の下にぽっかりと口を開いた洞窟だった。訪れる人を落石から守るためか、入口には鉄の防護壁が組まれ、更に防護ネットまで張られている。
「ここは御厨人窟といい、大師さまが生活をなさった場です。一方で隣にある神明窟は修行の場だったそうです」
御厨人窟の奥行は二十メートルほどあるだろうか。すぐ側には国道が走り、自動車やトラックが結構な頻度で行き交っているはずだが、不思議に洞内にはそれらのエンジン音は聞こえてこない。代わりに響くのは腹の底に響くような波の音だ。洞内に人工の明かりはなく、振り返れば入口からの光が、まるで輝く道のように島田さんとわたしの足元に伸びている。
島田さんによれば、空海が室戸を訪れた当時は現在よりも海面が高く、波打ち際は今日の国道付近にあった。つまり空海はこの洞内から、文字通り空と海だけを眺めて暮らしていたわけだ。
2024.02.15(木)
文=澤田瞳子
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年2月号