北村 諒とともに、映画『ゴーストダイアリーズ』でW主演を務める日向野 祥。「スケステ」「ハイキュー!!」など、「2.5次元」ステージで注目を浴びる彼が、異色の経歴やエンタメに対する想いを熱く語ります。

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●エンタメ集団から小劇場の道へ

――幼い頃に持っていた夢は?

 3歳ぐらいのとき、ビデオで祖父と一緒に『丹下左膳余話 百萬両の壺』を見て、内容を理解できないながらも、主演の大河内傳次郎さんがとてもカッコ良く見えたんです。それ以来、映画好きになり、俳優という職業に憧れていくようになりました。

 特に年配の役者さん、たとえば役所広司さんや樹木希林さんが好きでした。そして、高校2年生の進路相談で、「夢は一度しか持てないんだから、夢を追うのも夢だぞ」と、先生に言われたことをきっかけに、本格的に役者の道を目指すことにしました。

――そして、芸能界に入るきっかけは?

 俳優になりたいけど、どうしていいか分からない僕のことを知っていた母の友人が、オーディション雑誌を見て、事務所に履歴書を出して、応募してくれたことがきっかけです。それで高校2年生のときに、最初の事務所に入ったのですが、そのときは学業を優先していたため、ほとんど活動をしていないんです。

――その後、2009年、エンターテイメント集団「HIROZ」の第1期メンバーとして活動されます。

 石川県にあった劇場テーマパーク「日本元気劇場」を中心に活動していました。200人近くの男の子たちがいるなかで、人気投票や組閣もあったりしたんですが、上位7名に選ばれて、「HIROZ SEVEN+」としてCDデビューもしました。僕はブロードウェイの舞台も好きだったので、ここでお芝居だけじゃなく、歌やダンス、アクション、日本舞踊や殺陣も学ぶことができ、とても勉強になった3年間でした。

 12年からは、別の事務所に移り、今度は下北沢を中心に小劇場の世界で活動していました。いろいろな演出家さんにシゴかれたのも、今となってはいい思い出です。

●「2.5次元」のステージに立つこと

――自身にとって転機となった作品は?

 16年からの2年間は、病気になってしまった母を支えるために、一切活動を休止していました。そして、復帰して今の事務所に入ったことで、2.5次元ダンスライブ「S.Q.S(スケアステージ・通称「スケステ」)」に参加することになりました。

 この作品に出演したことによって、多くの方に知られるようになり、いろんなお仕事に繋がっていった。そんなチャンスをくれた作品なので、「スケステ」が転機になった作品といえます。

――小劇場の世界から一転して、「2.5次元」のステージに立つことについては?

 正直な話、僕の人生において、「2.5次元」のステージに立つとは思ってもいませんでした。とはいえ、何かを演じるということは、根本的に同じこと。そう思ったときに、素直に「やってみよう!」という気持ちになり、「スケステ」オーディションを受けたことを覚えています。

 それから、僕が3年間演じている篁志季は、ダンスが得意なうえ、僕と同い年の設定ということもあり、ほとんど役作りをせずに入り込めました。

――19~20年には、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」にも出演。烏野高校バレー部の主将・澤村大地という人気キャラを演じられました。

 高校時代は、バレーボール部だったこともあり、原作コミックをずっと読んでいましたし、アニメも見ていたので、オーディションに受かったときは嬉しかったです。

 でも、とても過酷で、体力的にもキツい作品なうえ、須賀健太さんらがいらっしゃった1期のみなさんが卒業した後の新たなメンバーだったこともあり、ファンの方にはいろいろと言われましたね。そんななか、「僕たちにしか出せない色もある」ということを年下のメンバーに伝えるなどして、意識して引っ張っていきました。

2021.09.24(金)
文=くれい 響
撮影=深野未季
スタイリスト=森内陽子
ヘアメイク=芝原睦美