●転機は菅田将暉らと共演した舞台「タンブリング」

――ちなみに、そのときに学んだことはありますか?

 その頃の僕はあまり日本語が喋れなくて、ジャニーさんとはずっと英語で話していました。

 すぐにステージに立つことができて、人前でパフォーマンスができる環境が楽しくてしょうがありませんでしたので、そこで“学んだ”というような思い出はないのですが、強いていえば、日本のエンターテイメントを垣間見ることができ、自分がその中の一員になれたという、いい経験をさせてもらいました。

――そして、ふたたび渡米後、16、17歳頃には、完全に「ダンスを仕事にしたくない」と決意されます。

 僕の幼馴染みにはアフリカ系アメリカ人が多いこともあり、彼らにとって、ダンスは呼吸するように自然に存在するものなんです。

 確かにダンスで仕事もしていましたが、好きなダンスを仕事にすることでストレスが溜まるのなら、わざわざ仕事にする必要はないという思いに行きつきました。

――その後、転機となった出来事は?

 初めて人前でお芝居をするようになった舞台「タンブリング」(2010年)です。

 大東駿介さんや菅田将暉さんたちと一緒だったのですが、とても楽しくて、「これなら仕事としてやっていきたい」という気持ちになりました。

 大きな転機になったのは、ジャッキー・チェンのようなアクション俳優になる夢が叶った新作『燃えよデブゴン/ TOKYO MISSION』です。

2021.01.01(金)
文=くれい響
撮影=榎本麻美