在籍していたグループを離れ、2020年に個性派俳優としての道を歩みだした田中俊介。無類の映画好きとしても知られる彼が、映画の魅力にとりつかれた自身について語ると同時に、『ミッドナイトスワン』でも組んだ内田英治監督との出会いについても語る。
●野球少年からモデルの道へ
――幼い頃の夢はプロ野球選手だったそうですね。
2、3歳のときから、水泳を習っていたほど身体を動かすことが好きで、親と一緒にプロ野球の試合を観るのも好きだったんです。それで、小学3年生のときに少年野球チームに入って、それから高校3年まで、ずっと野球漬けでした。高校の3年間はずっと坊主で、マイ・バリカンを持っていて、いつも自分で3ミリにしていました。
――その後、大学在学中に、モデル活動を始めるときの経緯は?
大学1年のときから、街でちょいちょい声をかけられて、地元誌のストリートスナップを撮ってもらっていたんです。それが楽しいと思い始めたときに、当時通っていた美容院で、宣伝VTRみたいなものを撮ることになって、そのモデルとして声をかけられました。
それで、その撮影で出会ったカメラマンさんやスタッフの方たちに勧められたことをきっかけに、モデル事務所に入ることになったんです。
●30歳のタイミングで、一からのスタートを決断
――そこから、演技を始めるようになったきっかけは?
モデルとして、いろんなお仕事をさせていただいたのですが、175センチしか身長がないですし、どこかバイト感覚程度の気持ちでした。そんなとき、事務所の演技レッスンがあって、初めてお芝居に触れたんです。
「道端に落ちている500円玉を見つけたときのリアクション」といったエチュードをやっても、まったくできなくて……。でも、野球辞めてから、見つからなかった目標が見つかったような気がしたんです。
――その後、ボーイズグループに在籍。歌とダンスを始めることになりますが、当時の率直な気持ちは?
じつはグループでも、お芝居からのスタートだったんです。自分の根っこの部分ではお芝居をやっていきたいというものがありましたが、それが歌とダンスへと方向性が変わっていっただけです。なので、そのときはもちろん、純粋に新たな目標や夢として、歌とダンスに全力を注いでいました。
そんな中、自分自身と向き合うタイミングが訪れ、熟考した結果、一からのスタートになるかもしれないけれど、グループから離れ、1人の役者として生きていこうと決断いたしました。それがちょうど30歳になるタイミングでした。再始動させて頂けたことに感謝しています。
2020.11.20(金)
文=くれい響
撮影=山元茂樹
スタイリング=中川原有(CaNN)