J-POP全盛期を彩ったアイドル・歌姫・小室ファミリー

●「wanna Be A Dreammaker」(globe/1998年)

当時は8センチCDの過渡期。このタイプ、2つに折れることを知っている人は意外に少ないらしい。私は購入したら即「うりゃスペース縮小!」とばかりにバキャッと折っていましたがみなさんはいかがでしょう……。
当時は8センチCDの過渡期。このタイプ、2つに折れることを知っている人は意外に少ないらしい。私は購入したら即「うりゃスペース縮小!」とばかりにバキャッと折っていましたがみなさんはいかがでしょう……。

 KEIKOがあまりにも気持ち良さそうに歌うので「私も軽々歌える」と大きな誤解をしてしまうglobeの楽曲。

 しかし[1]サビで血管が切れそうになる、[2]MARCのラップの時間を持て余し立ち尽くす、という2つのハードルが待っている。

●「ALIVE」(SPEED/1998年)

J-POP全盛期の、SPEEDらを輩出した沖縄アクターズスクールの貢献度の高さよ! 新垣仁絵さんがHITOE'S 57 MOVEとして出したソロシングル「INORI」もファンキーで大好きだった。
J-POP全盛期の、SPEEDらを輩出した沖縄アクターズスクールの貢献度の高さよ! 新垣仁絵さんがHITOE'S 57 MOVEとして出したソロシングル「INORI」もファンキーで大好きだった。

 私がSPEEDに興味を持ったきっかけは、楽曲ではなく、映画『アンドロメディア』であった。

 人工知能がテーマだし、なんと共演がDA PUMP。今、ぜひ見返してみたい一本である。

●「あなたのキスを数えましょう~You were mine~」(小柳ゆき/1999年)

このとき小柳ゆきさん17才。人生5度目の17才くらいに風格がある。
このとき小柳ゆきさん17才。人生5度目の17才くらいに風格がある。

 脳と内耳が戸惑ってしまうほど、歌が上手過ぎた小柳ゆき。島国では抱えきれない才能だった気がする。

●「OUR DAYS」(鈴木あみ/1999年)

 難解な節回し、しかもキーが高いにもほどがある曲ばかりを提供されながらも、オール地声で歌おうとする彼女のド根性が大好きだった。

●「ふわふわふるる」(tohko/1998年)

 小室ファミリーの中でも不思議な個性を放っていたtohko。当時は独特の高い声ばかりに感心していたけれど、今改めて歌詞を追うとかなりHでドキドキする。

2020.05.31(日)
文=田中 稲
画像=文藝春秋