『国宝』は「家」との闘いだったが…

 話題となった『国宝』と『昭和元禄落語心中』を並べて語ってみると、それぞれの伝統芸能が持つ魅力の方向性の違いが鮮明に見えてきます。歌舞伎が持つ「神聖さ」や「絢爛豪華さ」とはまた違う、落語の世界の「人間臭さ」や「切なさ」、そして「生々しい情熱」が、このドラマの最大の魅力なんです。

 『国宝』が描く歌舞伎は、大勢の役者、大道具、衣裳、音曲が一体となってつくり上げる「総合芸術」です。そして、何代にもわたり芸を継承してきた「家」=梨園という厳格なシステムが、物語の根幹にあります。

 任侠の出である喜久雄(吉沢亮)は、その「家」の世界に、芸の才能だけで食い込んでいく。彼の戦いは、華やかな舞台の裏側にある、世襲と才能、伝統と革新の間の、重い葛藤でした。

 一方、『昭和元禄落語心中』の落語は、たった一人、座布団一枚の上で、扇子と手ぬぐいだけで、世界と、そこに生きる人間を創り上げます。歌舞伎が「座」の芸術なら、落語は「個」の芸術。

 八雲が闘ったのは、「家」の重みというより、己の芸の限界、抗い難い孤独、そして芸の「魔性」に憑りつかれた人生そのものだったといえます。

 八雲は、落語と「心中」、つまり芸を道連れに死のうとまで考える。そこには、ただ「受け継ぐ」だけではない、芸と人生を一体化させ、ともに滅びようとするほどの、凄まじい「業」が描かれています。このドロドロとした人間臭さと、そこから生まれる至高の美こそが、『昭和元禄落語心中』の真髄なのです。

 また、落語のドラマといえば、2005年放送の宮藤官九郎脚本のドラマ『タイガー&ドラゴン』も忘れてはいけません。

 クドカンの『タイガー&ドラゴン』は、古典落語の演目(「芝浜」「饅頭怖い」など)を、長瀬智也さん演じるヤクザの虎児と、岡田准一さん演じるデザイナーの竜二の現代の物語に「本歌取り」する斬新な構成でした。

 落語のストーリーがそのまま現代の出来事の「オチ」になるという、構成の妙を楽しむ「落語入門編」として最高にポップな作品です。落語の面白さ、人間への洞察力を知るには最高のドラマでした。

 対して『昭和元禄落語心中』は、落語界の内部の核心に焦点を当て、八雲と助六の、凄絶な芸の人生を描きます。そこにあるのは、ポップな笑いよりも、「芸を極める」ことの狂気、嫉妬、そして孤独です。

 『タイガー&ドラゴン』で落語の「面白さ」に触れた視聴者が、『昭和元禄落語心中』を観れば、落語が持つ「深み」と「魔性」、そして芸人が背負う「人生の重み」を知ることになります。落語という世界を、より深く、ディープに愛するための「落語上級編」、それが『昭和元禄落語心中』なのです。

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