「いつもカミさんに怒られていた」やなせたかしが“遺書”で告白した妻への愛情…朝ドラの“その先”にあった物語とは〉から続く

 ついに9月26日、朝ドラ『あんぱん』(NHK総合)が最終回を迎えた。主人公・のぶ(今田美桜)と夫の嵩(北村匠海)が年月を重ねて築いてきた深い絆は、多くの視聴者を感動させた。

 その物語のモデルとなったのが、『アンパンマン』の生みの親である漫画家・やなせたかしと、妻・暢である。長年にわたり公私を共にした2人のあいだにも、ドラマに描かれた以上に強い信頼と支え合いがあった。

 実際の2人はどのように夫婦として歩み、晩年を過ごしたのか。やなせ氏が自らの言葉で綴った著書『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)から、その一端を抜粋して紹介する。(全4回の2回目/続きを読む

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医者からの“余命宣告”

 日本には年号がある。明治、大正、昭和と変っていく。不思議なことに年号が変ると、時代が変る。

 昭和59年から63年にかけて、アンパンマンのテレビ化の話が進んでいた。NHK、日本テレビ、東京ムービー新社から話があった。

 NHKの話はキャンセルになり、NTVの方も反対が強く話は進まなかった。しかし、プロデューサーの武井英彦は屈せず、何度でも企画を提出した。

 そんな頃だ、カミさんが体調を崩したのは。診断をうけると乳癌だった。緊急入院ということになった。

 しかし、カミさんには片づけなくてはいけない仕事がいくつかあった。一週間あっちこっち走りまわって整理をして、東京女子医大に入院、即日手術。

 手術がやっと終って、ぼくは担当の医師に別室へ呼ばれた。レントゲンの写真を見せながら、医師はごく冷静に宣言した。

2025.10.09(木)
著者=やなせたかし