病床の妻・暢に起きた奇跡

「やなせさん、何があったの。私に話してみて」

 ぼくは包みきれず、カミさんが入院して手術したこと、生命があと3カ月と宣告されたことを話した。

 里中さんは、

「私も癌だったの」

「え?」

「私は手術がいやで、丸山ワクチンを打ち続けて7年目に完治したの。やなせさんも試してみませんか」

 地獄に仏とはこのことである。次の日、指示されたとおり根津の日本医科大学へ丸山ワクチンをもらいにいった。噂では聞いていたが、丸山ワクチンをもらう患者の行列ができていた。

 手に入れた丸山ワクチンを持って、東京女子医大へ行き、「丸山ワクチンを注射して下さい」と頼んだ。

「水みたいなもので効きませんよ」

「かまいません。藁(わら)にでもすがりたいのです。お願いします」

「解りました。1週間経ったら打ちましょう。看護婦に言っておきます。くりかえしますが、効果はありません」

「よろしくお願いします」

 1カ月して、カミさんは歩けるようになった。ぼくは犬を連れて病院へ行き、カミさんに逢わせた。カミさんは大変な犬好きだったのである。玄関まで降りてきて、カミさんは犬をなでてよろこんだ。愛犬のチャコも、しっぽをちぎれるほど振って甘えた。

 ぼくは衰えてしまったカミさんを、昔よりももっと愛しいと思った。カミさんの肩は紙のようにうすくなっていた。

「精神安定剤をのんだ」最愛の妻を失い茫然自失…やなせたかしが綴った、絶望から立ち直るまでの“苦悩の日々”〉へ続く

2025.10.09(木)
著者=やなせたかし