恃照は瞑目し、そしてゆっくりと瞼を開いた。なおも乾いているその目で、右の膝を見た。
立てぬかもしれぬ、とは思わなかった。
意を決し、右の掌を床に添え、少しずつ胡坐を解く。己の身体の節という節が何とか連動するのを感じ取り、恃照はいよいよこの堂入りを終えるのだという実感に包まれた。背を徐々に伸ばし、恃照は立ち上がった。
そして、小僧の方へ顔を動かし、小さく顎を引いた。
ところが、小僧らは恃照の背後から動こうとはしなかった。恃照は思いがけぬことを目の当たりにし、三匝の最初の一歩を踏み出すのを躊躇した。
恃照が見下ろす小僧の頭頂は、黙して語らぬ。その頭頂を恃照はじっと見つめた。ここで小僧を問い詰めても得心のいく回答は得られまい。所詮小僧どもは高僧の言いなりに動いているだけである。
明王堂外陣の壁際に佇む数名の高僧の中に、憲雄の姿があった。十三年前に千日回峰を満行した大行満大阿闍梨である。
憲雄の両の目は恃照のそれを正面から見返している。その目は厳しくもあり、また哀しみを湛えてもいた。
本来、堂入りのうちこの三匝だけは小僧の支えを受けず、行者が独力で達せねばならぬものとされている。立ち上がった恃照がまず小僧に目を遣ったのは、己のそばから下がらせるためであった。
それが後ろに付いたままということは――。
恃照は再び憲雄の目を見た。憲雄は暗がりの中、恃照にその鋭い眼光を放っている。恃照は憲雄の眼差しに込められた複雑な思いを汲み、黙礼した。
背後に侍る小僧らを意にも介さぬように、恃照は右足を前に出した。無論摺り足である。続いて左足。そして再び右足。
動く。動いている。自身の脚は確かに動いている。一間進むに十歩は要すものの、着実に恃照は前進していた。
自らの重さというものをほとんど感じなかった。白き浄衣を纏った恃照は墓場を徘徊する幽霊のように、身体の上下を伴うことなく進んでゆく。高僧ら、信者らの祈るような思いが堂内に横溢している。
2025.09.22(月)