その執行が、恃照の堂下がりを告げる証明文を、まるで自らがやりおおせたかの如き大音声で読み上げきった。
「朴の湯、朴の湯」
恃照の先達たる憲雄が呼ばわる。ややあって、板敷の廻廊を足袋の滑る音がするすると近づいてきた。小僧の顔が半分隠れるほどの木椀が、小僧から高僧に渡される。高僧は厳かな手つきでそれを恃照に差し下した。木椀には薬湯がなみなみと湛えられている。
恃照はそれを両手で恭しく受け取ると、三度頭上に捧げた。九日振りの水である。しかし不思議と渇してはいなかった。注がれた薬湯を少しだけ舐め、舌の上で転がした。
飲むというほどの量はあえて含まなかった。飲まぬことが正しく、飲むことが誤っていると、恃照にはなぜかそのように思えたのである。堂入り中も、入堂五日目からは一日一度の嗽が許される。ただ、その含んだ水はすべて椀に吐き出さねばならぬ。あるべき姿はそちらだと、恃照は思った。
ここで一口でも飲み下せば、人に戻ってしまう――。
恃照は木椀を小僧に戻した。それを合図として、堂内にある衆徒らが真言を唱和し始める。
ナーマクサーマンダバ・サラナン・センダ・マーカロシャナ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン――。
その唱和は一つにまとまっているが、恃照はその中に、己のよく知る者の声が混ざっているのをはっきりと聞き分けることができた。憲雄の声は、恃照を優しく撫でた。
堂入りの締めくくりは堂入りの冒頭と同様、堂内を己の足で三周することになっている。あとはその三匝を残すのみであった。
九日間の断食、断水、不眠、不臥の行に比べれば、狭い堂内を歩いて三周することなどどうと言うこともないように思える。
しかし、九日間の断食、断水、不眠、不臥の後だからこそ、この三匝は侮れぬ。事実、三匝にて躓くことあらば死すとの口伝もある。それだけに、恃照も出堂を決意するに時を要したのであった。
2025.09.22(月)