人は死を目前にしたとき、その脳裏に走馬灯が映るという。しかし今の恃照には映らなかった。肉体はとうに限界を超えていた。芬々(ふんぷん)たる異臭が己からわき立つのを感じる。恃照の師僧であり、また大行満大阿闍梨でもある憲雄(けんゆう)は、それを屍臭(ししゆう)と呼んだ。

 恃照は細く長く息を吐く。口からの屍臭を己で嗅がぬよう少し待って、堂内に充満する白檀の香りだけを吸い込もうとした。

 出堂するのだ――。

 恃照の心中に、ついに新たな言葉が紡ぎ出された。

 数本の蝋燭のみが照らす暗がりの中、恃照の背に侍る二人の小僧は何一つ口を利かぬ。ただただ、今まさに阿闍梨にならんとする一人の僧が立ち上がるのを待っている。恃照は鼻から息を抜いた。

 恃照は自身の右肩越しに、背に侍る小僧を見た。蝋燭の光を弱々しく受けたその頭頂が、無言で恃照を(いたわ)っている。左に侍るも同様であった。眠りそうになる己を何度も起こしてくれた小僧どもである。阿闍梨にならんとする孤僧を代わる代わる、懸命に鼓舞してきた。

 九日振りに、恃照に柔らかな感情が湧いてきた。その小僧らの思いをも汲み、恃照はついに出堂を決心した。

 五色の幔幕(まんまく)が巡らされた明王堂の戸が開け放たれると、堂内に叡山の冽々(れつれつ)たる寒気が遠慮なく侵入してきた。それに遅れ、数名の高僧と幾人かの信者らが堂内へ足を踏み入れた。

「よう(こら)えたの」

 恃照の耳元に後ろから(ささや)く者があった。声の主が誰だか分かり、恃照は振り返らず、わずかに会釈するにとどめた。延暦寺執行(しぎよう)を務める高僧であった。入堂の折、先達の大阿闍梨はこのようなことに難渋した、このようなことに留意せよなどと恃照に助言した、叡山の大幹部である。

 だが、彼の話は恃照にさして届かなかった。そのような話は当の大阿闍梨たる師憲雄に直接聞いていたうえに、自身で文献も渉猟して知っていた。そして何より、その高僧は大阿闍梨ではなかった。

2025.09.22(月)