憲雄は茶碗を置いて口を拭った。
「賭してみるほか……あるまい」
憲雄の力無き嘆息に、聖諦もゆっくりと頤を引いた。
というのも――。
恃照は先々帝の秘された子なのである。
しかし、帝の血縁ということだけであれば、全く驚くに足らぬ。事実、徳川の世になってからの天台座主はすべて皇族から迎え入れられており、当代の尊眞も伏見宮の出である。恃照が帝の血筋に連なっていたとして、それ自体に支障はない。
ところが、恃照の親とされるその先々帝が、のちに後桜町天皇と呼ばれることになる女帝であるという点が厄介至極なのであった。
後桜町天皇は齢三十一で譲位し、当年五十七である。所謂中継ぎの帝と位置付けられ、在位はおよそ八年に及んだ。践祚する以前も以後も、院は未婚で通している、ということになっているのだ。
あろうことか、院は在位中に子を宿した。父は不明という。奈良朝の元正天皇以来、女帝は未婚を通すという不文律が朝廷にはあった。事実ならば一大事である。このことが発覚するや否や、公家たちは九重を右往左往したに違いない。
秘匿に秘匿を重ね、帝は出産された。男児であった。
わが子を帝に、と院は熱望したと言われる。また、一切そのようなことは口にせず、早々に玉体から遠ざけたとも言われる。真相は叡山の僧らには知る由もなかった。
ただ、座主の言動やその取り巻きの高僧などの素振りや顔つきを憲雄が見るに、恃照が院の実子であることは事実らしかった。少なくとも、叡山は事実だと捉えているのだ。二人の大阿闍梨が恃みをかけているのはまさにそこであった。
「憲雄さま、恃照は助かりましょう。叡山は恃照を殺すことはできませぬ。それがたとえ叡山千年の理を枉げることになるとしても」
憲雄は微笑みながらも俯く。憲雄もそう思いたい。権力者がその保身に走らんとするとき、想像を遥かに超える叡智を発揮するものだ。唾棄すべきではあるが、今はそのようなものしか頼れるものがなかった。
2025.09.22(月)