映画全体に流れる言葉

――1950年代当時の緒方さんはおそらく60歳前後ですね。イギリスに暮らす悦子もそれくらいになっています。

イシグロ 三浦さんの実年齢(撮影当時72歳)を聞いて驚きましたが、優れた俳優は実際の年齢に関係なく演じられる。ただ、年齢は実はそれほど重要ではないんですね。

 重要なのは、緒方さんを人間として形作った価値観が完全に変化し、彼を置き去りにしてしまったこと。そして映画全体に流れる「変わらなければならない」という言葉。現実には、人生のある段階にいる人間が本当に変わることは、とても難しいと思う。だから、そこには何かとても悲しいものがあると思うんです。

 彼らは、おそらく自分は変わらなければならないと理解しているけれど、できない。だって人間の本質というのは、若い頃や全盛期に経験したことによって形作られるものですから、人生の後半で変容するのはかなり難しいでしょう。

――緒方さんと悦子の関係は、小津安二郎の『東京物語』(1953)で、義父(笠智衆)と、息子の妻(原節子)を彷彿とさせます。小説を読んだ時はそう思わなかったのですが。時代背景も同じ頃です。

イシグロ そうですね、似た部分はあります。ただ『東京物語』の原節子の夫は、戦死していましたけれど。実はそのような義理の家族の関係性は当時の日本の映画ではよく見られます。祖父母、夫婦、子供と、3世代が同居していることが多かったからでしょう。

 その意味で『東京物語』よりも、成瀬巳喜男が川端康成の小説を映画化した『山の音』(1954)の方が、この映画にはより近い気がします。成瀬の『山の音』は、原作よりもさらに、若い女性と義理の父親との関係に焦点を当てています。この2人の関係に性的要素は一切ありません。しかし義理の親子である2人が深く惹かれ合うあまり、夫の居場所がない。彼は浮気をしているんです。(筆者註:『山の音』のヒロインも原節子が演じている)

 『山の音』はとても素晴らしい映画ですし、他にも『遠い山なみの光』を書いている時に、このような関係性を描いた物語がいくつか念頭にありました。谷崎潤一郎の小説『蓼喰う虫』もその一つです。

 義理の親子というのは、当時の日本映画や本で頻繁に取り上げられた関係性だったんですが、3世代同居の伝統が消えてからは、あまり見られなくなったと思いますね。もちろん私も、日本にいた頃は3世代家族の一員だったんです。祖父、両親、子供たちという家でした。

2025.09.07(日)
文=石津文子