ノーベル賞受賞作家であるカズオ・イシグロ。1982年に出版された長編小説第1作『遠い山なみの光』を、『ある男』の石川慶監督が映画化した。

 1950年代の長崎と、30年後のイギリスを舞台に、悦子(広瀬すず/吉田羊)と佐知子(二階堂ふみ)という2人の女性の過去と真実が交錯していくミステリアスな物語で、今年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で上映された。イシグロはこの作品でエグゼクティブ・プロデューサーでもある。

 かつてクリント・イーストウッドとともにカンヌの審査員を務めたこともある彼が、映画について熱く、そして誠実に語ってくれた。

◆◆◆

石川監督との議論

――イシグロさんが書かれた原作小説と映画の違いについて、お聞かせください。小説と映画の結末は異なるものになっていますが、石川慶監督とは、このことについて議論しましたか?

イシグロ ええ。私たちがまず最初に話し合ったのが、その点だったんです。私は「この本は私が25歳の時に書いたもので、初めて書いた本だったんだ」と彼に伝えました。これは最初に出た本というだけでなく、私はそれまで実際にフィクションを書いていた期間もそれほど長くはなかったのです。私は子供の頃から物語を書いていたタイプではないので。

 実は英国で初めてこの本が出版された当時から、自分でもこの小説のいくつかの部分に心残りがあったんです。中でも結末については、トリックが目立つような、何かわざとらしい感じがしていました。ミステリー小説ならあり得る手法ではあるのですが、私としては結末で何かを暴露することによって、読者に衝撃や疑問を与えたいわけではなかったんです。そのことを説明し、「慶さんなりの解決策を見つけられるのではないか」と伝えました。彼はもちろん、私の意図を理解してくれました。

――吉田羊さんが演じる1980年代の悦子は娘・ニキ(カミラ・アイコ)に、長崎時代の思い出を話しますが、いわゆる“信頼できない語り手”(物語の語り手が、意図的または無意識のうちに読者を欺くような語り方をする)という立場です。

イシグロ 悦子は、(昔の友人の話としながら)自分自身について話しているのです。別に彼女は嘘をついているわけでも、欺こうとしているわけでもありません。しかし人は自分のあまり愉快ではない話をするとき、これは他人の話なのだ、という形式を取りがちです。特にそれが過去の話ならなおさらです。

 小説ではそういう手法を取ったつもりなのですが、私が未熟だったんでしょうね。ミステリー小説の結末のような暴露的なものになってしまったように思います。

 慶さんはこの点を考慮して、悦子(広瀬すず)と佐知子(二階堂ふみ)の関係性を暗示する手法を選んだんだと思います。でも基本的に私は、彼にはぜひとも彼なりの脚本を書いてほしいと思っていました。だから初稿については直接会って長々と話し合いましたが、そのあとは一歩引いて見守っていたんです。

2025.09.07(日)
文=石津文子