――石川慶監督がロンドンまで来て、対面で話し合ったんですか?
イシグロ そうです。この映画は英国も舞台になっているので、彼はロケハンや、オーディションのために頻繁にロンドンに来ていました。
私たちは直接会うことができ、夕食を共にし、一度はほぼ3時間にも及ぶ長いセッションを持ち、脚本について議論しました。しかしその後は、彼に任せておくのが最善だと思いましたし、他の人にもそうしてほしいと思いました。
プロジェクトの特定の段階では、アーティストに十分な空間を与えることが非常に重要だと思います。

観る人に考えてみてほしい
――なるほど。主人公である悦子と、友人の佐知子、そして映画も小説も、長崎時代の悦子の義父である緒方さんの存在がとても重要だったと思います。映画では三浦友和さんが演じていますが、悦子が信頼できない語り手だとすると、緒方さんは果たして実在していたのでしょうか?
イシグロ ぜひそこは、観る人に考えてみてほしいですね。そして、あなたがそう考えるのもわかります。しかし私の見解では、原作でも映画でも、佐知子も娘の万里子も、他の人物も、かつて長崎に実際にいた人たちなんです。彼らは完全に架空の人物というわけではないんです。ただ、悦子が長い年月を経て語る時、実在した知っている人々の物語に、悦子自身の体験を重ねて話している。私としてはずっとそのように考えてきました。
実はこういう経験は私自身も時々あるんです。こんな深刻なレベルではなく、例えば誰かが「古い友達の話なんだけど」と言いながら、実のところ彼ら自身の話をしているという。「ああ、彼は本当にひどいことを言ってしまった」とか、「あの人は人間関係を維持できないんだよね」とか、他人の話として、実は自分のことを語っているというのはよくあります。

――確かに。「友達が困っているんだけど」と言いながら自分の悩みを打ち明けたり。
イシグロ だから緒方さんたちは、悦子が完全に作り上げた人物というわけではないんです。むしろ緒方さんは、この物語のテーマにおいて非常に重要な要素だと思います。なぜなら、これは時は移りゆくという話だからです。
同時に、年齢を重ねた悦子はかつての緒方さんと同世代になっていて、突然あの頃の彼の立場に気がつき、当時とは違う類の共感や視点を覚えるわけです。緒方さんは若い世代に取り残され、価値観の変化と向き合わざるを得ません。孤独と価値観の変化に向き合うというのが、この物語のテーマの一つでもあるんですね。
悦子が義父の緒方さんを思い出すもう一つの理由は、彼女は今や歳をとり一人で家に住んでいるという状況――つまり緒方さんと同じ境遇――ゆえに、別の物語と結びつけて彼を特定の形で記憶しているのです。
2025.09.07(日)
文=石津文子