――もともと、0歳から赤ちゃんモデルとして活動されていたそうですが、親御さんはどんなきっかけで細山さんを芸能界へ入れたんでしょうか。

細山 それで言うと、積極的にというわけではなかったみたいです。母親から聞いてるのは2つあって。

 ひとつは、小さい頃の写真や映像をプロのカメラマンさんに撮ってもらえたら嬉しいな、という思い出的なノリだったということ。

 もうひとつは、僕がもともとひっこみ思案で、あんまり人前でしゃべれなかったので、矯正じゃないけど、人と一緒に生きていけるようにするために、そういったタレント業を続けさせた、ということでしたね。

「芸能人のお子さんと同じバスで…」インターナショナルスクールに入学した経緯

――小学校からインターナショナルスクールに通われていたということですが、教育に関しても熱心だった?

細山 母親がお受験をすごい頑張っていて、最初はいわゆる有名私立幼稚園みたいな、慶應の幼稚舎とか、青学の幼稚園とか、学芸大附属とか、そういうところを受けてたんですけど、全落ちして。

 で、英語はしゃべれなかったんですけど、小学校でなぜかインターナショナルスクールだけ引っかかったので、そこに入ったという経緯でした。

――裕福なご家庭だった?

細山 今になって思えば、そうだったのかなと思いますね。やっぱり学費は公立に比べれば高いですもんね。

 ただ、インターナショナルスクールでは、外国の要人の子どもがいたりとか。あと、芸能人のお子さんと同じバスでインターナショナルスクールに通ったり、仲良くさせてもらっていて。

 ですから、うちなんかよりよっぽどすごい人たちが周りにたくさんいて、自分ではそこまで裕福と思っていなかった、という感じです。

「自分の仕事をちゃんとしなきゃいけない」子役時代のプロ意識

――物心つく前からお仕事をしているわけですけど、お子さんの時は「仕事」をどういう風に捉えていましたか?

細山 やっぱりお金をもらってテレビに出る以上、自分の仕事をちゃんとしなきゃいけないという教育もあったので、自分としても、“仕事”として職務を全うしないといけない、という気持ちはありましたね。

――子ども時代から大人に囲まれて仕事をする中で、大人が喜ぶ言動とか、心のくすぐり方みたいなのを心得たところはある?

細山 そうですねえ、あったかもしれませんね。でも同時に、僕はどっちかというとどんくさいタイプだったので、お坊ちゃまキャラでいこう、というのはありましたけど、そのキャラを使ってうまく立ち回れるほど、自分に余裕はなかった気がします。

2025.09.01(月)
文=小泉なつみ