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「ぼくの行きつけの中華に行こう」

 そんな話をしながら歩いていると、すれ違いざま「おや、センセイ」と声をかけられることしばしば。この街の顔役のような人だったり、老舗のマダムだったり、シェフだったり。楽しそうに立ち話をする松本さんは、すっかり「地元民」。そして、「センセイ」(関西のイントネーションで)の愛称には、2100曲以上の詞を書いた作詞家としての松本さんへの畏敬の念とともに、「わが街のセンセイ」という意味も込められていると感じる。『サザエさん』における「イササカ先生」のような親しみがあるのだ。

 「センセイがどれだけ社交を頑張ったのか、よくわかりました」とわたしが言うと、松本さんは、ふふふ、と笑った。

「じゃあ、ぼくの行きつけの中華に行こう。そろそろランチが始まる時間だ」

 鯉川筋から路地を入ったところに広東家庭料理の店「杏杏(しんしん)」はある。中国粥が名物で、カウンター席がメインの小さな店。暖簾をくぐり、引き戸を開けるとカウンターの向こうで調理に勤しむ“お母さん”の顔がほころんだ。

「あらセンセイ」

「20時間ぶりのごぶさた。また来ちゃったよ(笑)」

 実は松本さん、神戸にいるときは週3日はここへ来るほどの大ファン。昼・夜と1日2回食べることもよくあるそうで、「『杏杏』はぼくの台所なんだ」と松本さんは言う。

「だから、神戸を留守にしてると恋しくなってくるんだ、お母さんの味が」

 お母さんが「杏杏」を始めたのは1997年12月のこと。

「夫がサラリーマンだったので、わたしは専業主婦でずっと家にいたんです。でも、子供たちがみんな学校を出て手がかからなくなったので、自分のお店を始めてみようと。もともと料理が好きですし、わたしの実家は料理屋さん。神戸には華僑の人が多く、わたしの両親も華僑で、神戸にいる同胞のために故郷の味をと、朝早くから店を開けてお粥を出していたんですね。わたしも両親の仕事は手伝っていましたから、その味を引き継ごうという思いもありました」

 お母さんの名前は呉杏芳(ウー・シンファン)さん。両親は中国・広東省から10代の頃に神戸へやってきたそうで、杏芳さんは神戸生まれ神戸育ちの華僑二世。現在は夫と3人の子供たちも「杏杏」を手伝い、家族みんなで切り盛りしている。

2025.02.19(水)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖