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63歳になる年に神戸に移住

 そしてここは、松本さんにとっての「風街」でもある。

 2012年春。東京で生まれ、渋谷と青山と麻布がホームタウンだった松本さんは、63歳になる年に東京を離れ、神戸に移住した。

「2011年3月に東日本大震災が起こって、2012年1月には親友の川勝(正幸・編集者)くんが亡くなった。それで、ぼくの中の何かが決壊してしまったんだと思う。ここじゃないどこかへ行かなくちゃって」

 松本さんは東京の家を売り払うと、神戸に居を構え、その2年後には京都にも住まいを持ち、神戸と京都を行き来する生活を始める。京都は松本さんが20代の頃からよく訪れていた街。はっぴいえんどが有名になったのも京都の学生たちに受け入れられたのがキッカケだった。それに比べると、神戸は少々縁遠い。松本さんが神戸に引っ越すと聞いたとき、わたしは驚いた。なぜ? と。すると「海と港と山がある街だから」と松本さんは言った。

「風通しのいいところに住みたかったんだ。ただ、知り合いなんて誰一人いないし、ぼくの人生にゆかりのある街でもない。しかも、家族は誰もついてこないというから、正真正銘の一人ぼっち。だから、最初は料理教室に通ったりもしたんだよ(笑)。舌は肥えてるけど、調理にはとんとうといし、ひとり暮らしの経験もない。ぼくのような単身赴任のおじさんのための教室で、コースの最後までやってみたけどあまり楽しくなかったし、すぐに飽きちゃった。そもそも自炊する必要はないんだ。だって神戸にはおいしいお店がたくさんある」

 とはいえ、還暦を過ぎた身で、たった一人で知らない街に住むなんて。しかも、松本さんは社交が苦手。現在の松本さんのSNSを覗けば、さまざまな人と交流する様子がアップされているので意外に感じるかもしれない。でも、本来はわりと人見知りなのだ。実に東京っ子っぽい、シャイな人。

「そして、ぼくはお酒を飲まない、ゴルフもしない。だけどいい詞は書く(笑)。だからこそ、魑魅魍魎が跋扈する芸能界に深入りすることなく、ミズスマシのように水面をスイスイと泳ぐことができたんだ」というのは松本さんがよくする話。

「でも、だからといって引きこもってるわけにはいかない。知らない街だからこそ、仲間をつくらなくちゃ。ぼくの風街をつくらなくちゃ。だから、神戸にきてからスタイルを変えたんだ。人生でいちばん社交をしたと思うよ。あいかわらず、お酒は飲めないし、ゴルフもしないけどね(笑)」

2025.02.19(水)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖