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 生徒手帳の住所欄に、ぼくは一言、風街と書きこんで、内ポケットに入れていた。新学期が始まった日、地図帳を広げて、青山と渋谷と麻布を赤鉛筆で結び、囲まれた三角形を風街と名付けた。それはぼくの頭の中だけに存在する架空の街だった。たとえば見慣れた空き地に突然ビルが建ったりすると、その空き地はぼくの風街につけ加えられる。だから風街の見えない境界線はいつも移動していた。――松本隆 小説『微熱少年』より

 あるとき松本さんが言った。「ねえ、ぼくの“風街”めぐりをしてみない?」

 わたしは即座に答えた。「ああ、それは面白いアイデアですね」

 松本隆ファンには、松本さんゆかりの場所や、詞に描かれた情景を感じられる場所などを「聖地巡礼」する人が多く、それを知った松本さんが自らも再訪してみたいと思うようになった、というのだ。「ただ、みんな、“ここに違いない”と推測して訪れているけれど、正解もあれば、そこじゃないのにな、ということもあるんだ」。「じゃあいっそのこと、八十八カ所巡礼、やりますか」とわたしが言うと、「ははは、そんなに回れるかなあ」と松本さんは笑った。

 とはいえ、東京はスクラップアンドビルドの街。松本さん自身が「聖地」を訪れたところで、影も形も残っていない場合がほとんどだろう。たとえば「マックスロード」。1970年代、若かりし頃の松本さんが足繁く通った渋谷の喫茶店。そこのトイレの壁に「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」という安西冬衛の詩の一節の落書きを目にし、はっぴいえんどの名曲「風をあつめて」のインスピレーションを得た、という逸話もある。しかし、マックスロードはとうの昔に閉店してしまったし、近年急ピッチで行われている駅前再開発事業により建物自体が消滅、どこに存在していたのか境界線を探すことすら難しくなった。

 すると松本さんは言った。「いいんだ。“風街”は記憶の中にあるんだから」

 風街の所在は誰でも知っている。
 東京二十三区地図や全国ドライブ・マップを調べたところで眼が充血するのがおちである。風街の地図は、きみも夢のなかで何度か見たことのある、あの宝島の地図によく似ている。要は思い出せばよいのだ。――松本隆『風のくわるてつと』より

2023.07.16(日)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖