今、話題の藤井 風、iri、adieuといった日本のアーティストの楽曲プロデュースや映画音楽を手がけているプロデューサー、トラックメイカーのYaffle(ヤッフル)さん。

 そのYaffleさんがクラシック音楽の名門レーベルであるドイツ・グラモフォンから『After the chaos』をリリースする。

 本作の制作のためにアイスランドへと赴き、首都レイキャビクに長期滞在して、CeaseTone、KARÍTAS、RAKELといったアイスランドの注目アーティストたちとコラボレーションをした。さらにヴァイオリニストの石上真由子やクラリネット奏者のコハーン・イシュトヴァーンなど、クラシック界の活躍する若手アーティストたちも参加している。

 これまでにない新しい世界観を体感させてくれるこのアルバムはどのようにして誕生したのか。Yaffleさんが向かい合ってきた音楽との出会いや思いについて伺った。


退路を断って見つけた自分が歩む道

――Yaffleさんの記憶に残る音楽に触れた原体験とは?

 僕の両親は音楽とは関係のない仕事でしたから、子どもの僕に音楽を聴かせようということはまったくなかったので、そのとき流行っていたトップチャートがテレビとかから流れてくるのを自然と耳にしたのが原体験に近いですね。

 その頃はポップスとかが好きで「CDを買って欲しい」と初めて親にせがんだのは6歳ぐらいの時だったことを覚えています。買ってもらったのはSPEEDの「BODY & SOUL」と玉置浩二の「田園」でした。

――音楽の道へ進もうと思ったきっかけは?

 高校生のときに吹奏楽部でファゴットを演奏していました。バンドもかけもちでやっていたんですが、文化祭に参加したときに演奏を聴いてくれた人から「プロとかにならないの?」っておだてられて、調子に乗って(笑)。

 向こうも軽い気持ちで言ったんだと思うんですけど、ピュアな感じの意見でしたし、あまり関係のない人から褒められたことが嬉しかったです。

――進学した国立音楽大学では楽器の演奏ではなく、作曲を学んだのは?

 通っていた高校は一貫校だったので受験しなくても大学に行けたんですが、そのまま大学へ行くと就職活動をするだろうと思って、“退路を断つ”という意味で音楽大学を選びました。

 入学した大学にはポピュラー音楽のミュージシャンを輩出しているイメージがあったのですが、現代音楽を体系的に学ぶ事ができました。期待とは違っていた分、それはそれで良かったと思っています。

 僕は身体的なことに自信がなくて、ピアノがうまく弾けるとか、スポーツができるとかいうタイプではありませんでした。作曲科を選んだのは、曲を構築することに根拠のない自信があったから。これには挫折感もなくて、巷で活躍している人と自分を比較しても、自分の中でうまくできそうな感じがしていて、“この道でやっていけるのか?”という不安は初めからまったくありませんでした。だから作曲の道へはスッと入っていけました。

 曲を構築するというのは、例えばプロジェクトリーダーみたいに人を集めてオーガナイズする感覚に近いですね。 つまり僕にとって作曲とは、何かを“閃いた!”というよりも、「レゴブロック」を組み立てるみたいに、積んでいく組み合わせが面白いかどうかだと思うんです。

 吹奏楽をやっていたときも60人くらいのメンバーがいて、「君はこれをやって」、「あなたはこれをやって。私はこれをやるんで」と伝えて、「この合図でやりましょう」みたいな感じで、音楽というよりは、もはやマネージメントみたいですね。

 音楽大学は音楽をやりたい人しかいないので、特異性があって、僕自身、精神的にも刺激になりました。ほかの大学のライブに顔を出すこともありましたし、音大ではない大学で音楽をやっている人は発想が違うので、そういう場で同志みたいな人たちと出会えたのも大きかったです。

2023.02.21(火)
文=山下シオン
撮影=平松市聖